「南無」とは「帰命」なり
今月の掲示板の言葉。
「南無」とは[帰命(きみょう)」なり
仏の教えに順(したが)い
仏の心に順い
仏の願に順う
(蓬茨祖運師)
「南無と言うは、すなわちこれ帰命なり」 これは中国の浄土教の師であります、善導大師のお言葉であります。
「仏の教えに順い、仏の心に順い、仏の願に順う」と述べられたのは、この善導大師の六字釈の「帰命」の意味を受け取られた蓬茨先生のお心です。
「南無」は、「南無阿弥陀仏」の南無のことですが、インドの言葉で「ナマスティ」等と言われるナームが、中国で漢字に翻訳された時に音写(読む時の音で漢字を当てはめた)された言葉で、漢字で意味を表せば、「帰命」ということが南無阿弥陀仏の南無ノ意味になると善導大師は述べられています。
阿弥陀如来に帰命する。その帰命という言葉の姿を蓬茨先生は、仏の教えに、心に、願いにしたがうことであると示してくださっています。ただしたがうと言うっても、順うであり、従うではないようです。
従という言葉は、あとについて行く、したがえる、つれて行くという意味を持ちます。
順という言葉は、同じしたがうと読みますが、道理に従ってさからわない、つきしたがう、やわらぐ、すなお、安んじて楽しむ、ならうという意味があります。
仏の教えが、心が、願いが、私のところまで至り届くところに帰命という姿があるように受け取られているのではないかと思います。