2007年10月 報恩講法話「流罪から800年」

報恩講法話「流罪から800年」
(2007年10月27日/講師 金子正美師)

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はじめに

どうも今日は。お正信偈を読んで汗をかく人と、これから何を話そうかと思って冷や汗をかく汗とはずいぶん違いますよ。私も今実感しておりますけれども。えー、報恩講「流罪から800年」という講題を出していただきながら、今あらためて何というんですかね、朋、同行という言葉がありますが。あの、友人、あるいは縁が有って会えた人という事に対してですね、何かすごく有り難いなあという思いを持ちながら、最近お話をさせて頂く事でございます。

報恩講、御正忌という話が出ましたが、西本願寺・東本願寺と本願寺が2つありますけども、何故か御正忌(御正当)も2つあるんですよ。不思議と思われるかも知れませんが、東本願寺は11月28日が御正当。西本願寺は1月16日を御正当とこういうわけです。これは何ですか、本願寺が分かれてきて東本願寺を作ったので、あの同じところと一緒にするわけにいかないと言ってですね、改めて日を作ったのか、そんなことはない。これカレンダーですね、新暦と旧暦というのがありましてですね、私たち大谷派は旧暦を使い、向こうは新暦を使うということで、1月16日が御正当ということがあります。

私の住んでいるところのすぐ近くに――新しく上越市になりましたが――「牧」という所があります。少し行くと長野県という県境の村でありますが。その、山――そこのご本人は山とおっしゃいます――にお西のお寺がありまして、1月16日の御正当の頃は必ずそこにはブルドーザーが入るんです。何故そこにブルドーザーが入るかというと、雪をどけるためにブルドーザーが入るんです。高田の街、高田の私の住んでいるところで1m、「わー大変だ、1m積もった」と言ってる時は、その牧では大体2m半くらい積もっています。他の用事で行く機会がありましてですね、こんもり山になっている雪がありますので、「ブルドーザーの跡があるんだねー」と言いましたら、住職が出てこられてですね「やー、やっと本堂の前を開けることができました」と言ってですね、そのブルドーザーの説明をしてくださった事があります。まー、そんなにして報恩講を勤めるということですね。その寺の場合は、どうしても御正当、御正当ということを、昔からお寺さんも思い、地元も人も思いですね、雪をかき分けてもとにかく本堂でお参りをするという習慣が残っている所であります。私達はそうやって報恩講を勤めるということは大事なことだと思います。思いますが、しかし一方から言えば、本願寺にお参りするということを先ず一番先に考えましてですね、本願寺に行く前に報恩講を勤めて、それから本願寺へお参りしましょうという考えがあっても良いですね。そういうことを何と言うか、先に引き上げてお参りしましょうという、「お引き上げ」の法要というものを報恩講としてお勤めいたします。それから本願寺へ行って来てですね、「あー、今年も行けたね。行くことが出来ましたね」という喜びながらですね、そこを通りこして報恩講として勤まっていく。

「ごしょうとう、ごしょうとう」と言いますので、いろんな字があるんですけれども、御正当、正に当たっているという意味ですね。御正忌と書くこともありますね。で、その日ではなく前にやる、前にお参りすること。ということはですね、あのおそらく、私の想像ではまあ、地域の事情はもちろんありますけれども、1つには、蓮如上人のお話をお聞きなられた越中の赤尾の道宗という方がですね、たしなみ、たしなみということを蓮如上人から学ばれてですね、1日、1月、1年のたしなみという事を言われて、それを喜ばれて『蓮如上人御一代記聞書』というところにも繰り入れられている言葉があります。それはこういう言葉なんですね。「1日のたしなみには、あさつとめかかさじとたしなめ。1月のたしなみには、ちかきところ、御開山様の御座候うところへまいるべしと、たしなむべし。1年のたしなみには、御本寺へまいるべしと、たしなむべし」とこういうふうに、1日それから1月、1年というふうにですね、そのようにして生活するんだということをそこで述べられているわけです。で、その話はまたの機会にしたいと思いますが。

流罪から800年

今日用意をしてまいりました、1番最初に申しましたとおり「流罪から800年」。1207年に、法然上人が四国、親鸞聖人が越後ということで、流罪に遇われたわけです。法然上人は土佐ということになっておりますが、本当は讃岐だそうです。越後の場合は、どうも今の場所だという。ただ「国府」という場所が今の場所なのかどうなのかという疑問は付きます。もう一つ国府という場所が、海岸ではないところにあるそうですけれども。多分そこだろうと言われているところに着かれてから800年ということです。私はこの事を数年前からですね、京都に行く機会のある人達といろいろ話をする中でですね、いろんな用事で京都に行くわけですけれど、その時に。例えば、本願寺でお朝事が勤まった後にお話される方とですね、あるいはまあ機会が有る度にですね、流罪、流罪と言いましょうかということですね。まあ申し合わせみたいな事をしてきたわけです。

教団は2011年に750回忌を迎えるということで、そちらの方に向けてですね、いろんなことが行われております。瓦の吹き替えとか、御影堂の修復とかですね。それはそれで、何もそんなことする必要はないと言うつもりはありません。しかしちょっとこう考えてみるとですね、800年前にこういうことがもし起きなければ、まあ朝廷の言うとおり、あーそー、じゃあそういうお念仏を止めましょうということでですね、法然という方も、その当時の善信という方もですね、お国の方でそう言われるなら、我々はそういう野暮なことは止めましょうということになれば、おそらくこの事件は起きなかったわけですね。で、その事件がもし起きなかったならですね、750回忌云々と言っておりますけれども、そういう東本願寺とかですね、真宗大谷派とかですね、もっといえば浄土真宗という宗旨ですらおそらく日本には起きなかったという事実がある。そしてもっと大事な事は、あの高田の別院の法要の時、皆さんお見えになった時に私もお話したと思いますが、後に親鸞と名告る人すらですね、おそらく出てこなかったであろうということが言われているわけですね。どういうことかというと、当時の記録を見ておりますと、この流罪以降愚禿釋親鸞と名告るとこうあるわけですね。ですからこれ以降親鸞と名告られたわけです。そういうことも無かったということに気を向けていかないといけないのではと思うわけです。そして、何故そのような流罪という、あるいは死罪というものが起きたかというとですね、これは詳しい事は言いません。あの分からない事もありますし、時間もないこともありますけれども、10月に来てくれた私の友人の説がかなりきついと思うんですが、まー色々あるわけだけれども、結局後鳥羽院という天皇に仕えていた2人の女性が出家したということがですね、糸口になったという事はたぶん間違いないと思うんです。で、何故その2人の女性が出家するまでに至ったのか。あるいは何故出家をするまでに、その法然上人の教えに感じ入ったのか。そういうことを少し考えてみる必要があるのではないかと、彼は言い残していきましたけれども。そんなような事でですね、800年前にそれが起きて、その事がですね、どういうふうになるかは分からない念仏停止、停止と書いてチョウジというんですけれども、停められてですね、何人かが首をはねられて、そして流罪にあうと。 そういうことを通してでも尚、お念仏というものがここに伝わったということですね。非常に大事な事ではないかなあと思っているわけです。800年前にそれが無ければというお話をしましたけれども、その800年前に起きた事をご縁としてなんと私のところにまでですね、お念仏が届くということはですね、一体どういうことなのか――。

よく、報恩講って何ですかと聞かれると、これは親鸞聖人の法要ですとお答えになる方があります。親鸞聖人の法要が報恩講であります、そう、そうなんでしょう。で、それを自分のところに引き寄せて考えてみますと、まあ千葉県の方は分かりませんが、私達のご近所のお話を聞いておりますとですね、まあ自分の親の法要は分かると。いろいろ苦労かけたり、色々しましたから親の法要をする事は分かる。その上祖父母、おじいちゃんおばあちゃんの事もまあ、小さくてわからない時だったけれども何か家にいっぱい人が集まってきてざわざわしていたなあということが分かる。ところがその先になるとですね分からないというようなことがあってですね、こういう人の法事しないといけないのかねーと、こういう話題が出るわけです。ところがその先まで行かなくてもですね、おじいちゃんが亡くなった頃に小さかったその子供のところに連れ合いが来る、結婚する事がありますね。そうするとですね、私がそろそろおじいちゃんの法事の時期だなあと思っておりますとですね、こういうんですよ、「嫁さん来たけど、嫁さんの来る前に亡くなった人の法事しなくてもいいよねえ。」とこうなるんですよね。顔の知らない人の法事したってしょうがないでしょと、こう仰るわけです。しょうがないか分からないけれど、ああそうなのとつい言ってしまって。「ところで親鸞聖人750回忌といけど、あんた親鸞聖人の顔覚えてるの?」って私言ったんです。「そんなこと分からない。そうそうそう言えばお寺さんてずるいよね。顔の知らないような蓮如さんだとか、500年だとか言って法要するのにね。お参りしろと言ってお金集めたりしてますよねえ」と言われて、ずるいずるいと仰いますので、「いやあ、私は別にずるいとは思わないけれど」という話から、こういう話をしております。顔の分からない人の法事を勤めるということはどういうことか。どれほど、この家にとってその人は大事な人だったんだというふうに、親御さんから聞かれた、あるいはその親御さんから聞かれたということをどこかで聞いた事があるということであればですね、私はその方の100回忌でも150回忌でも勤めたらいかがですか、という風にですねお話した事があるんですね。それはどういうことかというと、先程言いましたように800年前に起きた事をご縁として私のところにまでお念仏というものが伝わって来ているという話をしてきましたけれども、その顔の分からない人の法事を勤めることによってですね、その時いなかった人が縁あってそこに居られるわけですから、じゃあこの人はこういう人だったんだよとそこでですね、お話をする。そして、生まれてきた子供さんにもですね、この人はこういう人だったよって言ってね。というふうな事でですね、単純な話をしますとね、そういうことがこう伝わっていくということがあるように思うんですよ。ところがどうもそうじゃない部分も或るわけですが、何かもうそんなのいいやみたいにですね、そんな事になっちゃうとちょっとおかしな事になるんじゃないかなと思っております。

歎異抄、親鸞ブーム

さて今日はですね、いろんなことを思いますけれども、特に法然上人から親鸞聖人がどんな風にお話をお聞きになったのか。それがたまたま、時を経てですね、親鸞聖人から数えて8代目という時に蓮如上人という方が現れてですね、もう一度親鸞聖人の教えというものを問い返さねばならんというようなことになってですね、そしてそれから今500年、その人が亡くなって今500年少し経っているわけですけれども。今から思いますと、私達が生まれるちょっと前に100年という、まあ計算をしますとですね100年、もうちょっと前でしょうか、清澤満之という方がお出になりましてですね、蓮如上人が「これは確かに信仰の本としては大変な本であるから、やたらに人に見せたら危ないよ」と、封印された書物が浄土真宗には伝わっております。何かというとですね、歎異抄という書物は、親鸞聖人のすぐ近くに居られたであろうと思われる唯円という方が書かれたということになっております。その文章をこう見てですね、――特に終わりの方から読むということを最近覚えたんですが――何故、何故この歎異抄という書物を読まねば、書かねばならなかったのかというようなことをですね、いろいろ見ていくとですね、要するに私はこういうふうに聞いてきました、私はこういうふうに聞いてきたというものが何人か寄られますとですね、そのうちにそれは違う、それは違うということに多分なるでしょうね。そうすると、いやそんなことは無い、こんなことは無い、と言いながらですね――歎異抄の中に出てくる文章なんですけれども――その相手を言い負かせようとして、相手を言い負かせんが為に親鸞聖人が言われなかったことを、こういう風に聞いたんだというようなことが起きてきたと。これは非常に由々しき問題であるということですね。自分はそれほど専門に仏教を勉強したわけではないけれど、親鸞聖人にお聞きしたことをですね、本当にこう、思い出し思い出ししながらですね、その自分が千分の一というですね、ちょっとしたことでも思い出しながらこれを記すことによってですね、何とか親鸞聖人のことを伝えて行きたい、伝わってほしいという願いのもとに書かれたのが歎異抄だという風に、ずーっと終わりのほうに書いてあるんですね。で、それからまた何年か経っておるわけですから、蓮如上人が亡くなって500年経ってですね、そしてその思いを新らたにされた方がたぶん清沢満之という方であるとすればですね、蓮如上人が封印されたものを公にされた。そして今は、歎異抄、親鸞ブームということですね。いろんな書物が出ておりますけれども、まあどうなんでしょうか。歎異抄の書物がいっぱい出ているから、歎異抄を読まれている風に見る向きもありますけれども、数多く出れば出るほどますますその意味がですね散乱をしてしまうということだって言えるような気がいたします。

本願を信じて念仏申さば仏になる

では改めて、何故そういうことを書かなきゃならなかったかということですね。私が思いますのは、「私はどのように教えを聞いてきたのかな」ということをですね、言わば振り返ることから始めることが大事なのではないかと最近になって思うようになったんです。それで今日用意しましたところで、報恩講とは親鸞聖人のご命日を縁として自分の生き方を振り返る、門徒にとって一番大事な仏事という風な。文章にも書いておきましたけれども、門徒にとって一番大事な仏事という、大事なことというよりも仏事。先輩たちのおん仏事という、御という字をつけてですね報恩講のことを語っておられます。この仏事ということが何故出てくるかというと、ちょっと歎異抄の話をしましたけれども、歎異抄の書物の中にですね、真宗とはどういう、浄土教とは一体どういう教えなのかという教えがありまして、「本願を信じて念仏申さば仏になる」とこう書いているわけですね。本願を信じて念仏申して仏になるというのが、法然上人の教え。それを引き継いだ親鸞聖人のお言葉であるわけですね。「仏になる」こうなるわけですね。最近ある方がですね、念仏というのが仏になる教えなんだということを言われてですね、ある所でお話をされた後でですね、「皆さんはそういう教えを聞きながら、あるいはそういう教えをここにお聞きになりに来られているかもしれないけど、皆さんは仏様に早くなりたいですか?」とこう問いかけられた。それまで「念仏申して仏になる」と聞いて、うんと頷いていた方がですね、早く「ほとけ」になりたいですか?と言ったら、ふっと見上げてですね手を振られた。こんなことをお聞きしました。私も人まねですが、同じことを昨日のある会場でその話をしました。一番目の前にいる方が「いやいや私はまだ仏様にはなれません」。「何故ですか?」って聞きましたら、「とてもとてもあのー、心には悪いことをし、人には意地悪も時々するし、とてもとてもそんな、仏様の心には成れません」ということで、まあ仏様に成りたくても成れませんというようなことでですね。ああ、この方は少しお聞きになっている方かなと、こう思って聞いておりました。今のような話がですね全く無かったかというと、やはり歎異抄という書物の中にも出てくるんですね。それで念仏申せば仏になるという教えを確かにお聞きして、感動してですね、まあ難しい修行をしたり、あるいはなにをしたりということなく、ただ念仏したら仏様になれるんだよと、僕らも浄土に生まれるんだよということを聞いて、確かに喜んだんだけれども、しばらくするとですねその心が失せるとこういう訳です。仏様に早くなりたいと思わない。そして念仏しても何か喜びが沸かない。どうしたものかとこうおたづねになる場面がある。で、昨日のあるお寺でですね、そういうときに親鸞聖人はなんて仰ったと思いますか質問したんです。そして、「修行が足りないなあお前は」とこう言われたのかと思われる方と言ったら、かなりの数の手が挙がるんですよ。手が挙がるんだけれども、その様子を、こう手が挙がる人の顔を見て居るとですね、確かに歎異抄学習会等で学ばれた方なんですがそこのところに書いてあるのは読んでいるようで読んでない。修行が足りないってこう仰たんなら、すいませんと言って、またじゃあお念仏の修行を一から出直してきますとなるでしょうけど、どうも親鸞聖人はそう仰ったんではないような気がするという事をちょっと言いますとね、色んなことが思い起こされるわけですね。そうするとまあ言葉としてはですね、「親鸞この不審ありつるに、唯円坊お前もか」ということですね。出てくる場面があるんですけれども。これをですね、そのまんま私のところに引き受けてですね、親鸞聖人もそうやって念仏勧めながら念仏を喜ぶ心が無かったんだから、私も別にそんなこと喜ぶことなかろうという風に思うのはですね、ちょっと早すぎるんです。

お念仏というのはどんな功徳があるのか

その前に、まず信心と言いましたけれども、今これは信仰問答ですから信心というのは一体何なのかということが自分のところでちゃんと受け止めて頂かないとですね、(単に人の問答だけではない事を言いたいわけですけれども)信心の話なんですね。信心の話。これをですね、あるいは信仰と言ってもいいですが、法然上人、親鸞聖人のことをお話していますけれども、そこに一緒に教えを聞かれた聖覚という方がですね、我々にとっても大事な聖教である「唯信抄」というものを著された。この聖教を探ってみますとね、今みたいなことが書いてあるんですよ。問答の中に。お念仏お念仏と言うけれども、お念仏というのはどんな功徳があるのか。あるいはいつ称える念仏が一番功徳があるのかとか問答がある。お念仏には功徳が付いているけれども、その功徳が分かるのはいつなのか?。いつだと思いますか、皆さん?今ですか?いつでもですか?いつでもなんでしょうけれどもはっきりそれが分かるというような、私にそう見て取れるのは、そういうことに取れるわけですけれども、何にもまして何処に功徳があるかと言うとですね、臨終の念仏というのが一番功徳があると書いてある。臨終の念仏。臨終とはいつの事ですか?誕生のことですか?臨終って一番うれしい時ですか?「やったー」なんてこういうときではないですけれども、何故臨終なのかなと思うんですが。まあ私が素朴素朴という意味はどういう意味かといわれますけど。私の思う素朴な思いとしては、臨終ということに、そこに立ち会うようになりますとね、思わず手が合うんですよ。臨終ってそういう効果があるってことですね。お念仏に付いた功徳じゃなくて、お念仏についた功徳が臨終という形をもったときに初めて現れるということだと思うんですね。それを読み進んでいきますと、信心のおこりやすきとき、と出てきます。どんなときに信心がおこりやすいのか、どんな時に自ずとおこってくるのかというと、また素朴なことに成りますけれども、私たちは信仰とかですね宗教とか言うと心のことばかり言いますけれども、実は心とともに身を持つ存在だということをちょっと忘れることがある。ありますね。身を生きるものである。心は何処にあるか分かりませんけれども、身は姿を変える。分かりますよね。そんなことは無い、私は生まれてからこの姿という方いますか?いませんね。どういうように変わるか。読んでいきますと、その身おだしき時は。おだしき時はとは、穏やかで心も気持ちが平らなときは、医者(くすし)、陰陽師(おんみょうじ)、おそらく医者とかですね宗教者の言うことはぜんぜん耳に入らない。800年以上前の書物なんですよ。

ところが身の病というのが、病重く命せまりてとこうあるんです。病気になって、それが重くなって、何となく死が近づいてきたなとこう感じる頃になるとですね、口に苦き薬をも服するようになるし、痛き療治も受けるようになる。これは苦いけれども病気に効くということになれば飲む。あるいはちょっと痛いかもしれないけれどこれをやったら治るかもしれないよと医者に勧められたら、その治療も受け入れるようになると書いてある。周りに対してはどうかというとですね、祭壇を作ってですね、このような祭壇を作って一生懸命拝みなさいと言うんですね。そうすると祭壇を作ってこれを祈れってこう言われたらですね、命が延びると言ったら、人は力を尽くし宝を惜しまず、飾り祈るとこう書いてある。力を尽くしてというのは、もうそれこそただ生きていて欲しい、一生懸命祈るとこう書いてある、800年前の書物に。それは、何とか命延べさせんためとて。何とか生きて欲しい、生き延びて欲しい、という思いがそうさせると書いてあるわけです。ですが、残念ながらここを逃れた人は誰もいない。誰もいないんですね。そこのところをどう受け止めるかということ。だから延びることが悪いとか云々ではなくて、一生懸命生きんが為に、生きんが為に。あるいは生かそう生かそうという思いは一体何なのかなということを、言いたい訳なんですけれども。それも、人は病になったりしないとなかなか分からないと。で、老いというのは、歳を重ねると考えてください。何も老人だけではありません。歳を重ねていく、歳を重ねるということはどういうことかと言うと、後戻りが出来ないということなんです。あ、しまった、あの時あーすればよかったと言ってもですね、後戻りが出来ない。20代の時もっと勉強すればよかったって時々思うことがあります。そう思って子供に言うとですね、親も出来なかったことが子供にどうしてそんなこと言うのと怒られますけれど、考えてみれば勝手なものですね。俺は勉強しなかったけどその分お前は勉強しろとは、本当に勝手な話だと思うんですけれども、そういうことを平気で言うようになるんですね、親というのは。で、後戻りが出来ないということにたいして、じゃあどう思うのか。後戻りできないですよ。私は来年1つ歳をとると、まあ1つ、10の位が1つ増えるんですけれども切ないですよ。本当に切ないけれども、しょうがないですね。若い若いと思っていても子供は30過ぎていますから、私はとても来年歳が変わるといっても、1つ10の位が増えるといっても来年40といっても絶対うそと分かりますからね。まあ、だけどこう生きておる。で、その中にあってですね、本当にあの、自分が生きてきて生まれてきて良かったということが何処で言えるのかというと、後戻りが出来ないとか、あるいは病気をしなければ病人のことが分からないとか思っている中から出てくるものだと思うんですよね。まあ、私事になってちょっと気が引ける部分もありますけれども、私には兄がおりましてですね、その兄が30で結婚し、3年後に奥さんが亡くなっちゃったんですよ。で、子供が一人いたんです。その子が34になったんですよ。その子はね、産んでくれた母親の顔知らないですよ。だけどもこう生きてきてですね、生きてきたんだけども。一生懸命周りはね、うちの母親もそうですけれども、「あんたのお母さんは昔こういう人だったんだよ」と写真を見せるんだけれども、片方は何にも分からないわけ。分からんことはないでしょといっても分からないんですよ。そうでしょ。だけれども生まれてきたことは間違いない。そのときの話を思い起こしますとですね、同じように奥さんを亡くした友人もそうだったらしいですけれども何て言うんですかね、周りは無責任。「あなたのお兄さんはまだ30なんだから、近くきっと再婚するから。再婚の話になったら子供は邪魔だよ」とこういうんです。だから「親の顔の分からないうちに何処かにあげてしまいなさい。子供のほしい人はいるんだから。特に男の子だからね、ほしい人もいるだろうから早くあげてしまいなさい」と言うんですね。「イヤー、そんなことは出来ませんよ」「そんなこと出来ないって言ったってね、後から後悔するから。私の言うことが必ず正しいと分かるから」と言うわけですね。しばらくしてですね、そちらの方のお母さんが昨年ですか90歳で亡くなりましたけれども、その彼が何年か前に来た時ですねこう言ったんですね。「母親の顔は分からないけれども、いつでも周りに誰かいた。例えば私とかですね。それだから今まで居られたんだ」と話して行ったそうです。そういう時にはやはり、例えばおじいちゃんおばあちゃん、ありがたいなと思う気持ちが出るわけでしょ。だけどそんな環境に居なければ分からないのかといえば、そんなことではないと思うんですよね。親の有難さというのはそういう人間じゃないと分からない。これはまた違うんですよ。それから予定の無いことが起きるということは、そこで教えられるわけでしょ。それは冗談では、結婚する時にこの次はあなたも来てねという。誰かにこうお祝いに来いと言ってですね、いうことは有りますけれども。死に別れることなんて予定になんか入っていませんから、そういうようなことをしながら尚且つ生きてて良かったということが言えるかどうかということを、実は私に言われているんだろうとこう思うときがあるわけです。

真の心

話が横に行ってしまいましたので戻します。まず最初にですね、信心の話をしますが、この信心というのは親鸞聖人のまあ解説によりますと、真の心と言われるんですね。真の心というのはね、どういうことかって言うと、自分にとって都合の良い事も悪い事も全てちゃんと受け止めてくれるっていう心のことだと思うんです。で、前にも書きましたけれど、信心とは人が言うことが分かりますよね?人偏に言ですからね。これを受け止める心。こういう心が私の中を探してみたら有るか無いかということをちょっとやってみたんだろうと思うのです。親鸞聖人に出会われた方がね。そしてこういう心が無いんだということが分かってくるわけ。これは何かと言うと、これは仏さまの心なんだということですね。で、我々の心はどういうものかというとですね、心から心からと言うけれど、実は私には煩悩というものがあってですね、そして煩は身をわずらわし、悩は心をなやます、とこう説明されてありますけれども。どうもこういうものが無いという時に、私の煩悩とこう考えるんですね。まず考えたとしましょう。すると私の都合の善い事も悪い事も、ちゃんと聞けるようような仏さまの心を頂かなくては信心を得たとは言われませんよ、という教えを聞いたとしたらですね、何とかその心に近づこうとするわけです。まじめだから。ところが人間の心というのはころころ変わるのです、その時その時で変わっていってですね、そのときは良い人だとこう思ってもですね、良い事だと思っても同じことをまるで反対の事として考えることがありますよね。このようなことを繰り返しているとね、まじめに考えてる人はこのことで悩むんですよ。どうしてこうなんだろうか。どうして私の煩悩は私の思うようにならないのか、と考えるんですね。ところがちょっと角度を変えてみるとですね、これは有る人の話を聞いてヒントを得たのですが、そうではなく私のではなく、煩悩の私。実は私というのは煩悩でしかない。煩悩でしかないんだ。例えば何かをやろうと思ってもですね、他人に何か言われてすぐに変わる。この人は良い人だと思っていたものが、こんな人とは思わなかったということにもなる。煩悩の仕業ですね。煩悩の仕業だと思うようになる。そして煩悩を持ったものを、備わったものを凡夫というんですね、凡夫。こう言います、これはただ人という。ただの人、こう親鸞聖人が説明しておられますけども、末は博士か大臣かといったけれども、20過ぎたらただの人です。その、ただの人ということがどういうことか。凡というのはですね、人間の感情としては、多分誰でも話しをしていると思うんですが、子供が可愛いとか、孫が可愛いとかね、子供には何かしてほしいとか期待をかける思いを持った人。凡。夫はそのために病気したくない、死にたくない、何とか孫が学校に行くまでは元気でいたいと思う人。凡夫。誰でもそうです。そうです。そんなこと言ったっていつか死ぬよなんて思っているのが、何処かに居るんじゃないんですよ。そう思っている自分がコレ(凡夫)なんです。だけれども何とかこうしたいと思っている。何とかしたいんだけれども、どうにもならない。どうにかしたいというのが私たちのこの中身なんですね。何とかやりたい、何とかしたい、だけれども何ともならない。何ともならないけれども、放るわけにもいかない。放り出しても附いて来るというものを抱えながら生きておってですね、そしてなお生きていて良かったというものを自分の中に見つけることが出来るかどうか。ちょっとでもちょっとでもいいから生きていて良かったと思える人、思える時があった人は、どんな時かということをちょっと振り返って頂きたいと思うんですよ。良かったとこう思うことをね。

昨年のことですが、自慢話になるんであまり言わないようにしているんですけれども、私の所に3人娘がいましてね、一番上のが結婚したんですよ。今までお寺に背を向けていたんですけれど、何故か結婚した相手が、「俺一緒に寺やるから」と言い出したもんだから、本人お寺に入らざるを得なくなっちゃって。簡単に言うとね、多分あんまりそんなかっこいいもんじゃないのかも知れないけれど。その子供を見ていて思うことは、あのそういうことでですね、お寺に入ってきたわけなんですが、色々なことを思って入ってきたと思うんです。そのことが、どういう風に変わっていくか。お寺をやることになったのですが、それが今度、お寺がいやだと背を向けていた者がですね、お寺の方へ向いてくるとですね、今度変わっていくんですよ。かたや今、工藤さんが出られた学校に行っておりますけれども、長生きしようかなと。だけれども一方でこの暑さから、こうガタガタって来ましたよね。9月初めに風邪引いたみたいなんですが。のどが痛くて、物を食べると引っ掛かる。痛いんです、飲む度に。飲む度に痛くなる。水飲んでも痛いんですね、唾飲んでも痛いんですね。俺は酒を止めて、今休んで、長生きしよう。この機を境にして酒抜きしようと思ったんだけども、のどが痛いだけでちょっと変な病気じゃなかろうかと思うようになるんですね。そしたら酒飲んじゃおうかと一瞬思いましたけれども。こう風邪みたいで。そんなことのようで、ゆれる、ゆれる。これが煩悩なんですね。ゆれるということを教えてくれるのは何かというのが、一本あるんですね。もう一度くどいようですけど考えていくとですね、どうも仏法というのは煩悩のあるところに用らくということのような気がするんですね。ですから死にたくないというのは、皆さん持っている気持ちですけれども、病になるまでは思わないですね。だけれども病が重くなってくると、意識するようになること、気付かせるものは何かというとですね、仏法という気がするんです。教えというのは特別というのがあってですね、この教えが大事だから大事にしなさいということだけでなく、私達が教えを仰ぐということはどういうことか。その教えが私の上に用らいているということを見つける。教えを大事に大事にして、何処かにしまい込んでですね、これは大事なものといって仕舞い込んだんでは教えにならない。今現に用らいているというものを実感しなくちゃならない。それは最も本当のことだということです。何とかしたいけれど何とかならない、何ともならないけれど何とかしたい中で、今どうなっているかということを受け止める。今自分はこうだと受け止めることが出来れば、おそらく立っていけると思うんですね。

仏さまの遇うところは地獄以外にない

私達がお念仏をして助かるということがどういうことかといえば、まあこれも大分言いましたが、私は今素朴に思うことは、やっぱり聞いてくれる人がいるということだと思うんですよ。私の話を聞いてくれる人がいる、あるいは私の姿をちゃんと見てくれている人がいる。いつでも傍に誰かがいるものですね。そう思っていろいろ聞いてきた色んな話を反芻しておりましたら、ある方はですねえらく乱暴な言い方するなと思って聞いていた時期もありましたけれども、阿弥陀様は何処におられるのかなというお話をされた方が、前にお話をしたと思いますけれども、どうも阿弥陀様って言ってですね、阿弥陀様にお願いをする時に「苦しくて苦しくてどうもなりません。どうか苦しくない所に連れて行ってください」というふうに思ってですねお念仏することはないだろうか?そしてお念仏する仕方によっては何か楽なところへ連れて行ってもらえるような思いをもってはいないか。しかしそうではないとその先生は仰います。「苦しいなあ。なんまんだ仏」といったら、「苦しいか。大変だな」ってこう即答えてくださるところにおられる。何処というとね。地獄の底。世の中には地獄で仏という言葉があります。私は、仏法は煩悩のあるところに用くと言いましたが、仏さまの遇うところは地獄以外にないんです。

仏様の国に行ったら仏様しかいないんだから、どの人が仏様か分からない。私達は少なくともこの苦しさをどうしたらいいかとか、悩みをどうしたらいいかということは、ここが悩む場所なんだということですね。その中でなければたぶん仏様は現れてこない。そうしていてですね、私達は今浄土真宗と言われているものを見ると、お釈迦様がお経を説かれてですね、この方が説法された、老病死を見て世の無常を悟る。老病死は身の変化の形である。その変化は一様でなく、代わってあげることも、代わってもらうこともできない身を生きている。法然上人はどこかで気づかれたような気がするんです。その教えをお聞きになって、親鸞聖人はまさしくまさしくその通りだと。仏教をいくら聞いても読んでも分からないものが、分かる。人間というものは、親子というものは、関係というものは、こうしなければならないああせねばならないと聞いておっても、自分の親が歳をとってきて動けなくなってきたときに、自分はどういう動きをするか。頭の中には立派な事いっぱい入っているんですよ。自分を生んでくれた親なんだから、大事にせにゃ、当たり前のことなんですよ。だけれども目の前で親が動けなくなったとしたら、どんな動きをするか、あるいは動きをしてきたか。もう人に訊ねることはない、私を見れば分かります。力尽きたくない時もあります。あるいは何かこう言いかけてですね、口が利けない様子を見てですね、昨日一昨日もそうだったんですけれども、「俺明後日千葉へ行くんだよな、もう悪くなるなよ」と言いたくなる。悪くなるなら千葉から帰って来てからにしてよ、と思いますね。千葉から帰ってきたよといって悪くなったらどうなるかというと、何で今頃悪くなるんだと言うわけですね。俺がいなくなった時にやってくれればいいのに、ということを勝手に思うわけです。それを見たらね、何も悪いことしていない、何も法に触れることもしていないといったって、自分の子とがですね善人だなんて言えませよ、私はね。そこから仏法を聞くことが始まると私は思うんですよ。そのことを親鸞聖人たぶん仰ったんだろうとこういうんですね。私は法を聞くということはどういうことかというと、まあ天にも昇るようにですね嬉しくて嬉しくてどうにもならないとか、健康でピンピンして何でも出来るという時には、そんなこと思わない。で、人が怪我をして事故を起こしてもですね、人間何が起こるかわからないなりで過ぎちゃう。だけれども自分が、もしくは自分の親しい人がなったときには、それはすごく気になる事になるんですね。

法事という場所

ちょっと話を変えますけれども、納骨という行事が有りますが、がらっと変わりますが納骨もですね、まあ東本願寺の須彌壇収骨でもいいですけれども。あるいは大谷祖廟というところで納骨されても結構ですが、それまでは「うちは門徒です」「門徒とは何処ですか」「本山は本願寺です」「東ですか西ですか?」「さあどっちだったでしょう」。言ってる人も、納骨をした場所が何処ですか?と聞かれて、「東本願寺」と言ったらですね、それ以降は東本願寺ということが頭に入ります。そうじゃありませんか。そういうことを何というか。そういうことを縁を頂いていると言うんです。縁を頂くとはそういうこと。だから顔も見たこともないとそう先に言いましたけれども、顔も見たことのない人の法事をするということはどういうことかというと、今ずっと言ってきたように、病であったりそういった固執したこの姿ですね。法事なら法事というところで話し合う。元気なお母さんだったけど、あんな風になったら本当そばに近づきたくなったのも事実だよね、正直のところとか。あるいは亡くなったら正直なもので、実家に足が向かなくなったとか、そういう話をすることがいわば法事なんです。そしてでも生まれて来てよかったねってこう言い合える場所がこの場所なんですね。そんなことを最近つくづくこう思うわけです。あのー、聞くとか色々言いますけれども、聞き方というのはどうしてもこの自分の勝手なところから離れられない。離れられないけど聞くことによってそういうものに自分なんだと分かる。あるいは、病気をすることによって、やっぱり人は病になるんだなということが分かる。どんなにどんなに丈夫な人も亡くなってくなあということが分かる。ここに来る前にですね、まあ大谷大学で学んだんですけれども、親戚でもありますが細川先生という歴史の先生がおられたんですけれども、亡くなられたというお話を聞いたんですね。親戚というのは、先生の奥さんと私の叔父の奥さんとが姉妹なんです。で今ね足腰がちょっと痛めていてですね、奥さん同士動けないんです。悲しいことだなと思いますけれども。その妹さんがですね、私の叔父のところへ電話をしてですね、「主人が亡くなったんです。私は動けません。お姉さんも動けませんよね。私は何かあったら金子のうちには行けないけれども、あなたも動けないから来なくていいよ」と言ってですね電話を切ったというのです。だけど何とかしていかなくちゃ、まあ行かれたかどうか分かりませんけども。思うけどやっぱり動けない。何故かというと両方年をとっているからです。細川先生が82歳でありますし、うちの叔父は今85になります。で、自分の事でやっとです。ですからとてもでないけど奥さんも行きたいけれども奥さんなんて連れて、奥さんなんか、て言いましたけど、連れて一緒に行ったらですね、雑踏の中どうなるか分からない。予想される。多少の思いもどっかにありますから迷惑かけちゃならないという思いもどっかにある。そうするとですね、やめとこうか後からまた行こうかとなるんです。これが現実なわけですよ。

往相の回向と還相の回向

そういう中にあっても、でも生きてて良かったねということが自分の中に見つかるかどうか。難しいようで難しくないようで、易しいようで易しくないような、そんな問いかけのように私には思われるわけです。で、知識だけではだめということを先程言いましたけれども、まあどうしてもここは言わないなあと思って結果的に悪口になりますが、去年でしたけども、たまたまあるところで梅原猛という方の文章を読んでですね、「真宗というのは分かりにくい。そして歎異抄という書物を読んで、そこから親鸞を学ぶのはどうも難しい」という。無理ではなかろうかという話の中でですね、回向ということがですね、往相の回向と還相の回向、この説は近代人にとって分かりにくいと。かえってくる姿を回向とあらわす表現があるんですね。でこれをですね、梅原氏は、還相は幻想だと言っています。何でこういうことを言うのかなと。それもある種疑問に思いましたが、一方で非常に影響力あるなと思っておりました。今でもそれは間違いだなと。こう誰かちゃんとしてくれないかなと、自分の力でどうにもならないので何とかしたいと思ってもどうにもならないということがあったんで。最近になってですね、あの曽我量深という先生、あそこに写真がありますけれども、先生の本を読んでおりましたら、還相回向と往相回向のことが書いてある。どういうことか簡単に言うとね、一生懸命でないけれどもお念仏して毎日毎日お参りをしてですね、お念仏を申しているとですね、阿弥陀様の方からこっちに呼びかけがあるようなそういうものを感じるとおっしゃる。私たちが南無阿弥陀仏と言うのは何か仏様にこう呼びかけをしてですね、弥陀をたのむというのは何か、弥陀に何かを頼むという感じでですね、今日一日何とか無事にいられますようにとか頼むとか、そう思ってお参りすることもあるけれど、お参りしているうちに何か向こうから来るような、呼びかけをしてくれるというような。さっきアー消してしまったけれども、その地獄に、そこにおられるということを感じさせるようなですね、ことが有るんだという文章に出会ったんですね。これだと思うんですよ、これだと思ってね。「聖人一流の御勧化のおもむきは」という御文もありますけれども、お念仏を申しているうちに向うの方からこう伝えられてこう呼びかけられている感じ。そこまでお念仏を申したり、聞法するということをですね、勧められているんだろうとこう思うんですよね。そのところを糸口にするとですね、曽我先生の話は難しいって実際難しかった、今も難しいと思いますけれども、でもこの先生はね私にとってと思って読んだときにはすごくやさしいことを言ってくださるんです、いっぱい。先生、聞法とは何ですかと尋ねられると、「聞法とは聞くこと。繰り返し繰り返し聞くこと」もうそれ以上何もないということですね。「仏様はどこに居られますか」という質問をされた方に、「手を合わせる目の前に仏様が現れる」とこうおっしゃる。そういう声にですね、改めてこう耳を傾けたり、先生はこういう先生だったんだと思ったときにですね、やはりその先生がおっしゃるように、その往相還相という言葉は難しいんですけども、お念仏申すことで阿弥陀様からこう語られているようなことを感じるということがですね、実は大事なんだろうと思うんですね。私たちは時々成仏してるだろうかということをこう言ってですね、ちょっと深刻になることがあります。でも本願寺に言ったらね、それの答えに似たような文があります。参拝接待所というところにあります。参拝接待所というところに行ったらね、「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている」と書いてあります。そういう世界に私たちは居るんだということを教えていただいて、そしてそのことに対して感謝をするというのが報恩講なんです。で、こういう場所で、皆さんとこういう所で。皆さんはどうですか。お元気だったけれども年を取ってきたよね。まあだめだわ、去年のこと言われないね年を取ってきたら。もうよいしょと言って立つ80のおじいさんですけれども、なかなか立たれないんです終わっても。足しびれたんじゃないのと誰かが言うと、そうじゃないって言うんです。立とうと思っても立てないんだ、ひざを立ててよいしょとやらないと立てない、立てなくなっちゃった。去年はこんなことなかったけどな、年を一つ取ったから。生まれて年を一つ取ると歩く。その同じ1年なのに。昨年はすっと歩けたのに歩けない。これも同じ1年。そういう1年を自分の上に見ていくということをしてですね、そして生まれてきて色んな事で色んな人にも喜びを与えたかもしれないけど、迷惑をかけたかもしれないけど、だけれども生まれてきて良かったということを自分の中に見つけていかなければ、生まれてきたという甲斐がないじゃないですか。私は生まれてきて良かったと思うようにしているという誤魔化しなんですけれども、生まれてきて良かったと思うのはそういうことだと思うんですよ。生まれてきて良かったというのは、やっぱりお寺の住職になったことはそんなに良いってことは初めはそんなに思っていませんけれども、でも住職ということでですね色んな人に会うことも出来る。お寺さんというだけでですね、もう他の肩書き何にもいらないわけですよ。こういう所に来るときもね。だけれどもある方がですね、私に話に来ませんかというので、いいよその日は空いているよといいましたらですね、しばらくして電話かかってきて肩書きなんてしたらいいと言うんですよ。肩書きなんてないよ、最賢寺住職でいいよと。それだけではと言うので、それだけではと聞くと、前に来た人は何々大学の教授だとかねと言うんで、ならそういう人を呼びなさい、俺そんな所行かないよ。自分のあれじゃないの、自分がこういうところに勤めていて呼んでやるような気分でいるんじゃないの。呼んでやるという所は俺行ってやらないからって言ってやったんです。そういうものが世の中いっぱいある。だけれどもいつの間にか呼んでやったものが、それが当たり前になってくるとですね、何か自分が偉くなったような気分になる。自分を置いてしまう。だけれどもそうじゃない。何をやっても人間はこっち(煩悩?)から離れられない。私は、離れられない一生を生きられたのが親鸞聖人ではなかったか、というふうに思っているわけです。田舎の人々にとって、愚痴極まりなきと言いますけれども、考えてみましたらそれは自分の姿であった、というふうにですね後々語られる場所があるわけです。こう思ったらそれが自分に返ってくるということを、仏法というのはそれを教えていることをですね、改めて感じさせられている。

終わりに

話がばらばらになりましたけれども、最後に私が師匠の様に思って尊敬しております宮城先生の言葉を紹介して、この会を終わりたいと思います。「もし宗祖のご生涯に学ぶということがなければ、私たちの聞法も、その姿を問い直す手掛りを失い、独善的なものになることが思われます」。それからもう1つですね、「本来信仰ということは、何かを理解し分かったというのではなく、自分の生活を見出したということです。身の事実、生活の状況が如何にもあれ、その中で賜ったこの生活を喜び、賜った命を燃やし、生き切る勇気を情熱を賜ることです」という風にして、賜る賜るというのが出てきますけれども、もうまさしくこれは自分の思いであるものではなくてですね、賜りものであるということを語っておられるわけで、これを聞いて私の言葉を権威づけるつもりは更々ありませんけれども、このことで思われている、私たちの聞法の姿勢を問い直す手掛りを失うというところが、実は浄土真宗に学ぶという本意ですね。一番大事なところ、これは聞いている、俺はやってる。俺は聞いている、俺はちゃんとやっている、何も悪いことはしていない、その姿勢を根本から問い直すということですね。大事なことなんだろうと思うんです。政治家が失言を繰り返してですね、一生懸命言い訳をしている姿がテレビで出ておりましたけれども。だから言葉を気をつけなくちゃという人が沢山周りに居りますが、私もそう思います。言葉に気をつける、当たり前なんです。当たり前のことをやっていても、まだ人を傷つけるということをね、分からなくちゃならない。そこが聞法のポイントだというふうに思います。ちょっとくどくなりましたけれども、今年もご縁有難うございました。

[ 文責 浄願寺 ]