2009年3月 春の彼岸法要法話「如来に願われている私」

春の彼岸法要法話 「如来に願われている私」
(2009年3月20日/講師 金子正美師)

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はじめに

どうもこんにちは、ありがとうございます。去年こちらに御邪魔をさせて頂きましてから、今日に至るまで一つ変わったことがありまして、それは何かと申しますと一つ歳をとりましてですね、去年私が五十代だったと思うんですが今年は六十代になってしまいました。還暦を迎えるころとなって改めて、今やっていることを振り返りますと、昨日実は夕方こちらに出かけるべく準備をして車に荷物を積んで、直江津の駅に車は置いてきたんですけど、『行ってくるよ』と出かけてですね、暫く十分位走りました。まぁ十五分位で着くところなんですが、十分ぐらい走ったころに忘れ物に気がつきまして。家に帰りましてその忘れ物を何を忘れたか忘れまして、カバンを皆ひっくり返して荷物を点検をしながら、そうだと思いつきました。

ひとつ思いつきましたのが、あの実は明日茅ヶ崎という所で法事を勤めますので、今日は平塚という所へ泊まるんですが、平塚の東横インという所で。新しく出来ましたので3950円で泊まれるということですね、そのカードを忘れたことに気がついて帰ったのです。さてこれで大丈夫と思ってまた走りました。今度五分ぐらいで又忘れ物に気が付きましてた。今度は何を忘れたと思いますか、今度はJRの切符を忘れましてですね、今度家に帰って、『切符どこいった、切符どこいった』って探してギリギリに直江津の駅を出発して、これで大丈夫だろうなと思っておりまして、今朝ほどこういう風に装束というか着物を着てから、白足袋が見当たりません。『鳴呼、しまった』と、またやってしまったと思いましたら、ちゃんとありましたので、ほっとしてここに居るわけです。

どうしてこうなるのでしょうか。考えられない事がおきていますね。何年か前だとそういう事をしている人を見てですね、『あんたも年とったもんだね』ってよく言ったもんですけれど、そのまんまよりも、むしろそれ以上のことをやっているなということを最近こう思います。別にそんなにこう働いてたわけではないですけど。何かにこう追われる様なですね、何かしなくちゃならない、何かしなくちゃならないと。何か忘れ物はないかと、脅迫感みたいなものにいつも追われながら過ごしておりますので、ある意味こういう所に呼んで頂いて、泊めていただいたりしますと、ほっとするところがあるのも実際のことなんですけれども。

先ほど言われました様に、お寺を一つお預かりしている身としては、それ程そんなに家を空けるわけにもいきません。家を空けるわけにはいかないといいますと、昨日あたりも二つ程電話掛かってきたんです。こういう人に限ってなんですが、この日にしか電話来ないのに、『あんたのところはいつも留守ですね』ってこういわれる。私は『居ないのを狙って電話してるんじゃないか』と思う位、不思議にこう電話をくれる人が居るんです。

まぁそんなことをしながら改めてまたカレンダーを暦が周って今年から六十一歳。この三月末、三月二十八日が私の誕生日だと母親から言われましたんで、それは間違いがないでしょう。母親が子供を産む頃は、物忘れもしていなかったことでしょうが、多分二十八日が誕生日と思うんです。そこにまぁ六十一となると、お話をさせて頂く事を本当にこうありがたく思います。先ほど後ろのほうで、阿弥陀経と正信偈をずっとお読みになっているところを見ながら、或いは聞きながら、少し感動を覚えておったわけですが。あのなにか、いつのころからかといいますと、私たちの年代・親たちの年代は、お経というのはお寺さんが読むもので、皆さんは聞いていただくという様な感じが決まっていた気がしますね。お経というのはお寺さんが読むもので、皆さんは聞いていただくという。何だか解らないけど、とにかく聞けばいいんだというですね。法事したいんですが、何だかわからないけれども足が痺れない程度にお経を読んで下さいと。足の痺れない程度でお経をやめて下さい。ありがたいところだけ言ってくださいとリクエストが出たところかなぁとおもいます。

お経というのはどういうことが書いてあるのだろうか。そりゃまぁありがたいことでしょうという事ぐらいしか伝えられていなかったということが有る訳ですが、ここ何年かの間で、例えば観無量寿経というお経について、現代の聖典という形にしてですね、何年か前の、何代か前の宗務総長の時の事ですけれども、王舎城の悲劇ということがきっかけとなってお経が説かれたんだと言います。何かお経というものがありがたくてですね、亡くなった人がいい場所へ行くようにと思っておった人が、実は家族の中でも「殺しちゃえ」というものがお経の中に出てくる。これは一体どういうことだというようなことが語られるようになりましてから、さぁ果たしてお経の中ですら、このようにして家族の問題が出ることであるから、我々の家族はどうだろうかという事を、少し考えてみるきっかけにはなるんではないかなぁと思います。

ひとのことはよく見ゆるなり

しかし、私、或いは私たちの目は、外に向いてますので、あそこの家はどうだとか、あの人はどうだというところに、気持ちが行ってしまうところが有る様に思います。例えば昔から、人間というのは一寸先は闇であるとか、何が起きるかわからないということがよく言われますね。人間の一生何が起きるか解らないから、気をつけなきゃならないねという話を聞いたりしたりしていますけれども。私のほうの話ですが、お話が終わってですね、集まりが終わって外へ出てたら、交通事故にあってぽんとはねられたということがあるんですね。「あぁ、人間何があるか解らないね」という風にそれを見ていた人が言うわけですね。

じゃあ、遭った人は何が有るかわからないねと言って死んでいくのでしょうか。いかがですか。それでその事故にあった方の身内の方はですね、交通事故にあった方を『なるほど、人間、何が起こるかわからないな。これもその中の一つかも知れないね』と言って、それを冷静に見ることが出来るかどうか実は問題であります。私にはそこが問題なんですね。それが出来るか出来ないか。出来る人はどういう人なのか。出来ないとはどういうことなのか。出来ないとしたらどうしたらいいのか。ということを考えさせてくれるときに、残念ながらと言うしか言い様がないのですけれども、この様な時になって初めて、私たちは宗教とか仏教とかいうところに目がいくんではないのかナァと思うんですよ。で、それまで本当に他人ごとの時には、「気の毒に」とかですね、「まぁ大変だわね。何が起きるかわからないわぁ」とか位の事しか言いませんけれども。自分の親しい人とか退院している人が亡くならないまでもですね、病気になられたりした時に、初めてこの様な病気ってあるんだと思うようになるということだとですね。

それで何をするかというと、どうしようかって、こんな病気ってあるのかぁって思うと同時に、何とかこの病気から離れようとかという思いがやっぱり起きるんですね、不思議にですね。これは深くは申せませんけれども、親鸞聖人が非常に大事にされました『唯信鈔』というお聖教があるんですけれども、その説かれた中にですね、人間にもそういうものがあって、どうしても『いのち』を伸ばそう伸ばそうと、長生きしたいとこう思う。 其の時の話はですね、ざっというとこういう話なんです。元気なときは、医者とか宗教家の話は余り耳を傾けない。だけど病気になると、ふとこう思う。しかし『いのちかぎられ』という言葉がありますけれども、刻限を切られるとですね、どうしてこうなるのかということを考えて、初めて宗教家の話を聞くようになる。或いは、医者の話を聞くようになる。この薬は苦いけどと言うと、いや苦くても飲みます、それで良くなるのであればという事ですね。

或いはこうして斎壇を作って、こうやって拝みなさいって言われて、はいやりますやりますと言ってですね、「宝を惜しまず、力尽くして」とありますから、言葉で言えばお金に糸目をつけず、そして全力で向かうというような事が書いてあるわけです。それは八百年以上前のことでありますけれども、その八百年以上のものが今残っておって、尚且つ時々目にする私にとりましては、この八百年以上の前のことがこれは昔話なんだという風にして片付けられるかどうかという事なんです。それは八百年前は人が死んだかもしれないが、今は死ぬ人なんか居ませんよというのであれば、これは別でしょうけれども、中々そうはいかないものがある様にあると思います。

願われて 今ここに居る

そこで今日は、お彼岸ということでお話を受けておりますので、「願われて」ということを中心にお話をしたいということを申し上げました。「願われて」ということはひとつ言いますと、自分がこういう風にしたい、ああいう風にしたいという思いはもちろんあると思いますが、それに先立って実はここに居るんではないかということを思うんですね。私の意思でここに居るということはありますけれども、それに先立って生まれるということを考えましたときに、この時期だといって、よし生まれてみようと思って生まれて来られた方がありますか。この時期に生まれるなら、絶対男のほうが良いと。いかがですか。平成二十一年にちょうど還暦なるように生まれたら良いぞと言って、六十年前に生まれた方ありますか。いやあの頃は不景気が来そうだからもうちょっと後から生まれたほうが良いと、未だお母さんのお腹の中におられた方も有るかもしれませんけれども、そういうものじゃないということですね。そして、二千五百年、三千年前にお釈迦様、私たちで言えば釈尊とこう申しますけれども。お釈迦様、シャカ族の王子様がですね、出家をされて、まぁ悩まれた。でその悩まれた、そしてそこから気づかれたものがお経となって、今までに伝わっているということですね。その悩まれて伝わってきたものを受け止めて、私の悩みをそこで考えようとされたのが法然上人であり、親鸞聖人だと思うんですね。ところで、世の中には何故そういう風にして悩んだのかと考えた方も有りますし、本当にそんなこと悩んだのだろうかといって、お経に書いてることが本当か嘘かという事を実証しようとする学問がある。面白いですね。 観無量寿経というのは、印度のある場所で説かれたんですけれども、ある方にお聞きをしましたら、それよりもちょっと南百キロくらいのところで説かれたのが本当だと思うとかですね、そういう学問があるんだそうです。経典成立史というんですけど。その中では私たちが日ごろお話をお聞きしています様に、観無量寿経にどういう事が書いてあるかというかは、全く問題にされません。とにかく観無量寿経というお経はそこで説かれていることになっているけれども、実際はここだという、説かれていた場所だけが問題なんですね。で、そういう学問と、そうじゃない学問と、こう二つにこう分かれている。未だにそうなっていて、学者の中でもそう分かれておりますけれども。今日そういう話ばっかりしていると、時間がいくらあっても足りませんので、その後のほうの、何故じゃなくて、お釈迦様が悩まれたそういう悩みが、私の悩みと一体どういう風にこう重なったり、あるいはどういう風にそれが解決されていったかという様なことをですね、中心にお話しをしてみたいと思っております。 お釈迦様が説かれて、おそらく一番悩まれたものは、老・病・死ということが有りますが、無量寿経というお経の中に、老・病・死をみて世の非常を悟るという言葉があります。今日用意したものの中におそらく書いてありますが、無有代者という風に書いてあります。その老・病・死を見て世の非常を悟る、無有代者ということは、無量寿経というお経の中に出てくるお言葉なんですけれども、その下に注釈をつけまして、老・病・死は、身が変化していく形。この身はですね、変化をしていく形・様相をかたどったものが、老・病・死ということなんだと。ここを確めていきたいと。皆さんそうですよね。歳を取っていくと、体の形が変わっていきますよね。いやそんなこと無い、俺は生まれてからずっとこの格好だという人がおられたら、お会いしてお話をお聞きしたいと思いますけども。老というものはね、いつもお話をすることだと思いますけれども、老というと、老人とかですね、老いとかという意味が物凄くそういうイメージが強いんですけれども、そういうのもあるんですが、ひとつには一番基本的な事はですね歳を重ねるという事なんです。年を重ねていくと、例えば今まで解ったつもりのことが、解らなかった事にハッキリするとか、本当に解らなかったことが解って来るとかですね、解った事が解らなくなるということを表す。これが老ということだと思うんですね。身の変化の形ですけども、気持ちも少し変わるというものが一緒にくっついています。それから病というのは、図鑑や辞典でこういう病気があるという事を知っただけでは、病気を知ったことにはならないですね。そうじゃ有りませんか。図鑑だけ見ている医者であれば、私は怖くて掛かれません、そんな医者には。じゃあ何故そんなことを云うかと言うと、医者もって言うと語弊が有って叱られる事が多いんですけども、医者も病人に逢って初めて『あっ!こういう病気なのかぁ!』という事が解かる。風邪を引くと熱が出る。時には四十度を越えることもある。本に書いてあってもですね、四十度近く熱を出す人を見るまでは、どんな表情になるか解らないでしょ。そうじゃ有りませんか。そういうことを病と表してるんですね。死ということはですね、これも実際亡くなった人と逢わないと、死というものがどういうものかという事が解らないです。先程言いました様に、有る時ポカンとしていて車に撥ねられることがもしあったときに、人間何があるかわからないねって位ではですね、死というものは解らないと思います。それから千葉の新聞でも、おそらくお悔やみ欄というのがあると思うんですけれども、お悔やみ欄を見てですね一ページ位の所で半分ぐらい占めてます。『うわぁ今日は人が多いなあ』ということだけではですね、死というものは解らないと思いますね。ところがその一ページでも良いですけれども、或いは一行でも自分の知った名前があるとですね、どきってすることがあるというわけですね。それが死を感ずる時という事だと思うんです。ですから老・病・死というのは、老・病・死を見て世の非常を悟るということはどういう事かというと、『わぁ!これは大変だわぁ』と思うことが、自分の身近もしくは、自分の身の上に起きて来ることを悟るということだと思うんですね。で、それはもう少し言いますと、悲しいとか、さびしいとか感じたとしてもですね、次の無有代者とかも含めてお話をしますと、代わってもらうことも、代わってあげることも出来ないんだという。これを、専門的な言葉で言いますと、『身の事実』というんです。代わってもらうことも代わってあげることも出来ないということです。

正直なこころ

これはあの、随分前にお話をしたかと思いますけれども。そのことだけ申しますと、私の友人というか、子供の先生なんですけれども。三十六歳で亡くなられた方が居りましてた。その人のおばぁちゃんですね。そのおばぁさんはですね、大事な孫が亡くなりましたので、棺の近くでお参りをしようと思って、お通夜のときにですね、お寺さんが来るまでじっと待っておったんですね。で、来る人来る人が頭を下げてお互い涙ぐんでいく中に、お通夜の始まるすぐ近くになりましたら、いつもそこでお茶飲みしている仲間が、ぞろぞろと入ってきましてね、『大変だったねぇ』とこういって、『はぁ、大変ですわぁ』というそこだけで終わらないですね。お茶飲み仲間ですから。もう少し言葉が続くのです。で、そのあとどういう言葉が出たかというと、『何であんたでなかったの、かわいそうに。どうしてあんたじゃなかったの、あんたの方が良かったんじゃないの先死ぬの。どうせ死ぬなら』とこう言われてですね、どうもならなかったというお話を紹介したことがあると思うのですけれども。実は私たちの中に、こういうものがどっかに有るのでは無いかと言う話をその時したんです。むしろ口に出した方が正直な方ですね。利口な人はですね、こんな所で口に出したらいかん、腹にだけ留めておきなさいという。利口な方ですわ。だけども、考えてることは一緒。三十六の人が亡くなって九十近い人が居たら、どうしてあの人が先じゃなかったのとこういう。世の中には中折れという言葉があるんですね。若い人が先に逝くことですね。『中折れは気の毒ですね』という風にだけと言って置けない部分がありますね。『中折れは大変ですねぇ、お母さん、お父さんはどのような思いでしょう』という風に考える時と、『どうして親が先に逝かなかったんだろうねぇ。もう寝たきり何年もいるのに』という考え方と、ずいぶん違うと思うんですが。私は、どちらかというと、親御さんの方に思いがいくような、感じ方をしていただきたいなぁと言うと思っているんです。

亡き人に導かれて

さて話がばらばらになってしまいましたんですけども、纏めて参ります。最初の亡くなるということを考えた時に、ある方がこういうお歌を作られました。 『先立ちて 逝きにし吾子は み仏の 我を導く使いなりけり』 これは、若くしてわが子を亡くした親御さんが詠んだ歌として伝えられております。読む人、読む人の心がそこに乗り移るものですから、時には『先立ちて逝きにし人は み仏の 我を導く使いなりけり』という歌で紹介されているときも有ります。しかし本歌は、吾子と書いて『わこ』とこう詠むんですね。で、『先立ちて 逝きにし吾子は み仏の 我を導く使いなりけり』という、これは読んでその通りのことなんですけれども。後半の方のですね『み仏の 我を導く使いなりけり』というところの心境になるまで、果たしてどれ位時間がたつものかなぁということをいつでもこの歌を見る度に思うんです。私たちは人が亡くなったときに、よくお悔やみによく行きますけれども、本当はと言いませんが、其の時によってですね、まぁ何とも言ってみようもなく、言葉を失うという時って有るんですね。「この度はどうも、大変でございます。なんと言って見ようもありません」とこういってですね、そこまでで終わることも有る訳ですけども。どうも私たちの中に働くというものはそういうものではなくてですね、今いのちがあなたを生きていますという言葉がありますけれども、そのいのちの中身はですね、『煩悩』というもののように思うときがあります。

私に寄り添う煩悩

それはどういうことかというと、なんと言って見ようもありませんと言って頭を下げて来るといいのですが、そこで終わらないものを自分の中に持つんですね。本当に力なくして、くたぁとこう肩を落としておられる姿を見るとね、親しければ親しいほど何とか慰めてあげたいとこう思うわけですよ。そうですよね。 一番良いのはね、言葉がないってこう思ったり、自分で思ったり口に出したりしたんですから、言葉以外のもので表すのが良いんですよ。例えばそばに寄って背中をさすりながら一緒に泣くとかね、手を握って泣くとかねそういう表現のところは、おそらく相手の方にも、私の意思は通じると思うんですよ。ところがそういう風になるというときと、まぁ例えばですよ、私みたいなものが、この歳の男、男性がそこに行ってですね、私も昔学校に勤めておりましたんで、親がなくなったとしてですね、大変だなぁといって、その女性に抱きついたらどうしますか。変なこと思われますよね、多分。多分でなくても、100%そう思われるんですけど。抱きしめてあげたかったけどそうは出来なかったとこう思うと、すーと帰るかどうかということは、非常に煩悩しだいなんですが、まぁ言いそうな言葉としてはですね、「大変だろうけど力落とさないでね」と言いそうな感じがしますよ。力落としている人に向かって、「力落とさないでね」と言うのはね、蹴飛ばしてその上から踏みつけたようなもんだっていった人が居ます。黙って帰って来れればいいですけれども、なかなか来れない。まぁ去年もこんな話をしたと思うんですが。 同じようなことが、ある産婦人科で言われました。まぁ産婦人科というのは何かと人が生まれてくる場所ですから、まぁ生まれてくるいのちが親御さんのとこに届く場合と、それから親御さんのところに届かない内に亡くなってしまうということが起きる場合がある訳です。その親御さんに届かないうちに亡くなってしまったいのち、或いは打ちひしがれている母親に対して、どういう事がその人を喜ばせ、どういうことが人を傷をつけたかということが書いてあるんですね。一番傷つくことはね、この間も有る方がそういう言葉に傷ついたという風に言っておりましたけれども、一番傷つく言葉はね、「あんた若いんだからすぐ出来るよまた」っていう言葉なんですて。何人か子供さんが居る時は、「あんたそれでも良いじゃない。まだ二人いるんだから」。ちょっと仏教のことを知っている人は、人間なにが起きるかわからないだろうなって、あんた交通事故なようなものと思いなさいとかね。一所懸命に言ったことに対して、自分で言い訳しようとしているのが、一番人を傷つけている。たださっきの葬儀と違いまして、産婦人科の場合はほとんど身内の人しか行かないでしょうから、おじさんなりおばさんなりが行ってですね、その姪っ子なり自分の娘をですね、手を握って背中をさすって「大変だったねぇ」ってこういう。「名前付いていたの?」「ちゃんと付いてたんだぁ」。相手が涙ながらに語ったらですね、「まぁ本当、私も思い出すからあんたも時々思い出そうね」「この日は、〇〇ちゃんの誕生日になるはずだったんだよね」とこういう風に言ってですね、これから忘れない様にしようということがその人を力づけるといいますか、助けるといいますかね。その場ではそういうことになっているんだという様なことが書いてありましたけれども。どうも私たちはそう思いながら、口は違うことを言いそうな思いを、そういう危険性を持って生きている様な感じがします。我々は、言葉を持って人とコミュニケーションをとるところにありますので、次に出で来る言葉は、「言葉に気をつけなくちゃね」という事なんですね。ところが、気をつけるぐらいで事がすめば良いけど、そこが中々出来ないから困ったことになるんじゃないでしょうかね。  さて、その「先立ちて逝きにし」、どのくらい時間がたつのかわかりませんけれども、ある程度時間がたったり、人が支えてくれるっていう風に周りが見えてきますと、そんな風な心境にもなるのかなと思います。そして今、やりどころのない様なものをこう感じたときに、どうしたら良いのかウロウロするそのものをですね、阿弥陀様という仏さまはですねこうみておられてですね、そして願いを起こされた。『お念仏を申しなさい』という風にですね、私たちに呼び掛けて下さる。そういう風にお感じになったであろう親鸞聖人の和讃をひとつ紹介します。  如来の作願をたずぬれば  苦悩の有情をすてずして  回向を首としたまいて  大悲心をば成就せり こういう和讃です。何度も何度もこの和讃をよくお話をしますので、思い出される方もおありかと思いますが、何度も何度も聞いていただきたいと思います。仏様が何故願いを立てたんだろうか。何故私のためにですね、願いを起こされたのかということをこう考えてみると、苦しみ悩む私を見て、とても見ていられない。見ていられない。それでお念仏を申しなさいと言って、私に、私たちに呼びかけてくださるんだ。その呼びかけてくださった言葉に答えるかたちで、一言でも私たちの口から、南無阿弥陀仏という言葉が出たときに、初めて大悲心ですから、これは仏様の心です、仏様の心が通じたよとこう言ってですね、仏様は私の方を向いていてくださることに気付くのだと、そのような意味のように思います。これをずっと見ておりまして、その苦悩の中身は一体何か、何なのかと言うことは人それぞれのことであります。まぁ、いいわけですけれどもね、私たちは悩みとか悲しみとか寂しさとかというだけでない、喜ぶ事だってあるだろうと、こう思われます。もちろん、その通りです。しかし、喜びのときには、どうですかね。喜びの時に、喜びを誰に一番先に伝えたいと思うという質問が出ますけども。「まぁ、家族です」と出ますね。或いは「亡くなった親です」とかね。そう出てくるかもしれない。やはり、その喜びということが有っても、何か底に流れるものとしては、悲しさとか寂しさとかいうものではないかなってこう思われるんですね、仏教がとらえたものはね。そこに前後しますけれども、宗教を自分の事として感じる時っていうのはね、人間の底にあって感じる悲しさではないかなってということを、そこに書いておきました。人間はね、そんなに苦しいとか悩むとかって無いんじゃないかっていう事を思いますけれども。皆さんはどうですか。あれですか、悩みって無いですか。悩んだ人見たこと無い。悩んだ人とはどんな事悩むのかな、私そんなこと知ったことが無い、したことが無いという、そういう方がもしおられましたら、後でゆっくりお話を聞きたいと思うのですが。僕は、何か知らんその、昨日もこちらへきて住職と話したんですが、何かこう、くよくよ考えるタチなんです。すぐ落ち込むんですね。どなたかが亡くなったっていって、遠くまで。十四、五年前にね、東北の岩手っていうところまで後輩が亡くなったといってね、顔見に行ってくるといって、たまたま一日空いていたもんですから。最終電車で行って夜行で帰る位の強行のスケジュールでもね、良く行くことがあるんです。「よくあんたそんな所まで行くね」と言われるんですね。後から、後悔やみに行けばいいじゃないかというけどね、後悔やみでは顔が見れないんですよ。どうしても行けなければしょうがないですよ。この次いつ行くか解らないですよ。だけども実際はですよ、行ってもその人は居ないのは事実なんですよ。話ができないというのは事実なんだけども、顔を見ればですね、いろんなことを思い出させてくれるなぁということを思って、行くわけですけれども。行ってよかったなぁと思うときと、まぁがっかりとは言いませんけれども、何か余計なことを聞いて来るときもあるんです。その時、四十七で亡くなったその後輩はですね、不慮にして亡くなったんですよ。で、その前の年に、私の同級生が四十七にして亡くなったもんですから、それとこう重なり合うところがあって、それで行ってきたんです。そんとき、たまたま、二年も続いてこの歳で亡くなって、私も思わずため息つきながら、「いい奴って先に死ぬんだなぁ」って、こう言ったんですね。ほんとにポロって言ったんです。「先逝くって言うけど本当なんだなぁ」ってこう言いまして。後ろからその後輩の同級生がね、「そうだねぇ、確かにそう思うわぁ。金子さんあんた長生きするよ」って言われたんです。思わず笑ってしまったんですけど、其の事は彼は忘れていますけれども。私がどっか他で話をしたら、「そんな事言う人いるの?」って本人が私に向かって言いましたけれども、「おめぇが言ったんだぁ」と思いました。そういうことは、はしたない言葉を使いませんでしたけれども、そういうものを感じさせる人に会うか、会わないかだと思うんですよ。どうしてそこまでしなくちゃならないのというのとね、何で俺はここでこう時間があるのに、行かないでいられるだろうかと。私はこういう時は人は誘わないですよ。だれか、亡くなったんなら行く。「俺行こうと思うんだけど」って言ったら、「行かなくちゃならないのかな?」という人がいるんですよね。「この人亡くなった、俺顔見に行こうと思うんだけど、あんた一緒に行かない?」と言うと、「行かなくちゃならなんのか?」と言われたらですね、行かなくてもいいんですよね、そんなものはね。いや違うんだ、同級生というのは行かなくちゃならない法律があるんだ、という訳にはいきませんから、行かなくちゃならないのかと言うならどうもならないと思うんですけれども、そういうのは誘わないようにしたんです。そういう、人と会うか会わないか、これ人生のね、大変なことなんです。これはどういうことかというとね、裏返すとね、私はずうっとそういう事を言い続けてきて、今もそうなんですけれども、生きてきてね、今まで生きてきて、そして悩むことも喜ぶこともあったでしょう。その喜んだり悩んだりすることを、一番最初に誰に伝えたいかということなんです。そしてうれしいことは、例えば親とか家族にあって話をお聞きしますけれども、自分でほかのところで悩んでいるときに、ちょっと親にも話できないなとこうおもう。そのときに、みなさんね誰の顔が浮かぶか、という話を良くするんですよ。とても親に、こんな事したら心配かけるからいけない。でも、伯父さん・伯母さんなら、兄弟だからきっとそこに伝わるだろう。色々頭の中で、ぐるぐるぐるぐるって回るんですね。で、誰に話をするか。いない。どうなりますかね。段々段々、自分で落ち込んでいくわけですよ。落ち込んでいって誰も相談する人が居ないと言ってですね、閉じこもってしまう。そんなときに、外国は別ですけども、日本の国内にいる人だったら電話をして、向こうが「どうした。元気が無いぞぉ」って言ってくれるだけで、まぁ元気を頂くとは言わないけれど、何か半分ぐらいね、肩の荷が落ちたような気がするんですけれども。皆さんは、そういう方がおられますか。居られるようですね。居られたらおそらく、人生の起きてくる色んな問題も、半分くらいは解決するんではないかなという風に思っています。今、誰の顔が浮かぶという話をして、生きて元気におられる事が前提の様に思いますけれども、必ずしもそうではないと思いますね。今お彼岸の話をしていますけども、お彼岸はお墓参り・お寺参りをして、亡くなっていった人の事を思うという事が、一番有る訳ですけれども、亡くなっていくという事は、どういうことかですね。私の前から居なくなるということなんですけれども。今日後から追加しましたところのもので、山本周五郎という人が、「虚空遍歴」という小説の中で書いています。死ぬということは、この世から消え去ることではない。死ぬということは、この世から去ることではあるけれども、消え去ることではない。死ぬということは、今までということ、今までですよ、さっきまでですよ、さっきまで生きていたという証であるというですね、山本周五郎という人の小説の中に出てくる言葉があります。これを辿ってね、何か無いかなとこう思いますと、最初にこう書きましたけれども、 人は去っても言葉は去らない、 人は去っても微笑みは去らない、 人は去ってもぬくもりは去らない、 人は去っても合わす掌、その手に人は帰る という、言葉があります。私たちがかかわりを持って頼りにしてきた人っていうのは、このような形で今でも生けるが如く、私の記憶の中にあるんだ。人は確かに、一度死なねばなりません。それは、誰一人逃れたことは無い事実です。生まれてきた以上どうしようもならないことなんです。その中でこのように、言葉とか、或いは微笑み、「あぁ、あの人の笑顔はきれいだったよね、あの笑顔に救われたわ」という人、あるいは温もりですね。そういうものを私に与えてくれた人、出会った人をですね、自分が生きている限り、生存している限りですね、(「いやぁ、お久しぶり」と言いましたら、「あんた誰?」と言われましたら困りますけれども)自分の中でこの様なことが、生きておるんだろうなって、こう思うんですよ。で、こういうものと思わせてくださるものは、近くで言えば勤めていただく法要でありましょうし、或いはその法要が無いときには、お彼岸とか、お盆とか、みんなで集まったときにですね、その人とかの話題になるときではないかなと思うんです。こういう出会いが有ったかどうかということをですね、こういうお彼岸のようなところで、ご自身のところで、確かめられるところが大事なんだと思うんですね。出会ったか、出会わないかということは、どういうことかというとね、亡くなってみてお話が出来なくなってみて、初めてその人の大きさというものが解るということだと思うんです。「あぁ、俺にとって大事な人だったんだ」と、わかる。もうひとつ言うと、解らせてもらう。解らせてもらうものは一体何なのかというと、これを私は仏様の力ということだと思うんですね。今まで何となく過ごしてきたじゃないですか、そうできなくなるまで。何かもれが有れば、「うるさいなぁ全く、何度言っても、そんなこともう良いよ」というような顔をしてきたことがあったじゃないですか。そのときに、その人はどういう思いで、私にその言葉をかけてくれたのかということを気づかしめてくれるものは、本当に残念ながらですけれども出来なくなってからではないかなと、そういう事を教えてくださっている。それがまぁ、私は仏様の教えではないのかな。気づくってことはね、覚めると、目覚めると言われますね。自分に目覚めると。「あっ、そうだった」と自分の中で気づくことが、大事なんだと思うんですね。ところが今、非常に世の中が忙しくなってきてですね、何が忙しいか知りませんけれども、忙しくなってきています。もう、朝からこんないやなニュース出すなよと、こんなことこの間のことじゃないのかと思ったら、実は今朝死体が発見されましたという様なこととかですね、翌日また、昨日も嫌なこと有ったよねと思うと、又今朝ですね。翌日ですね、また同じようなことをやっている。どういうんだこれといったら、昨日は九州で、今日は北海道とかですね。もういたるところでやっている。私の近くでもですね、刃物もってぶらぶらしている奴がとっ捕まったとかですね。ある日、お参りに行った先でクラブに夢中になっている男の子が家にいるもんですから、どうしたのって聞いたら、学校から早く帰れといわれた。不審者が学校の周りウロウロしている。高校生が刺されたとかですね。そんなことも有るのかとこう思います。我々テレビで見ているときには、いつの間にか、テレビの世界だと思い込んでしまう。もう近くには無いけれども、たいへんだぁ、東京はたいへんだぁとかですね。東京だけだと思っていたけれども、北海道もそうなのか。北海道だけだと思っていたけれども、今度は九州もあるのかとかで、周りのことばかり考えますけれども、周りのこと考えてそういうものと思い込んでしまうところがありますが、すぐ近くにそれがある。それは最初に言いましたように、人間どこで何が起こるか解からないという言葉が、そういうことを教えてきているわけです。たまたま合うことがなかったり、そういう中にいながら。本当に私は、私としてここで生きてきたわけですけれども、私という人間はどういう人間なのかということを今話が出来なくなったり、会うことができなくなってから、その人の大きさというものを感じさせてもらうんだという話をしました。けれども、果たして皆さん、皆さん方胸に手を当てて、私がこの世から居なくなったときに、どれだけの人が私のことを思ってくれるだろうかということを思ったこと有りますか。この間、うちの近くで講座を頼んでいる人が、自分の思う程人は集まってきませんよって言いましたよ。多分考えてみれば、自分自身のことをおっしゃってね。私も夕食をしたり、色々話をしにそこらいってるから、そのときにどれだけ人数が集まるか解りませんけれども、いろんな人の前でお話をしてきたから、あの人たちは自分が亡くなった時にはみんな来てくれる様な錯覚を起こすときもあるけれども、実際は一割も来ないでしょうねぇと。或いは親戚でもね、俺は折角だけれども体動かないから行くこと出来ないよ、という人も出てくるかもしれない。そういう事を考えるとね、来てくれるというよりは、むしろそれよりはもっと、来る来ないはそういうことだけれども、俺の事忘れてる人いるんじゃないか。親戚の中でも、言っても「は?」なんて言うかも知れないということがですね、まぁあるんじゃなかろうかなって思います。去年ね、もうごくごく身近なんですが、私のいとこが二人亡くなったんですよ。正月とね、十月です。兄弟ですね。母親は、非常にその甥と姪を大事にしておりまして、気にしておりました。病気になったとか、何とか。「大丈夫かねぇ、大丈夫かね」と心配しておったんですが、いよいよ亡くなったって話をしました。亡くなったんよって言ったら、「はぁ、そう」って。一昨年なら、それは大変だぁといって目の色変えて、顔色変えたんですけれども、去年なったらね「あぁ、そう」ですよ。だからもう、私たち兄弟は、言うの辞めようと思ってます。言ったって判らないですもんね。それで、私の従兄弟達に聞いてみますとね、最賢寺のおばさん、おばさんと言ってくれたから、どうかなって思ったけれど、その人は亡くなる前にね、「最賢寺のおばさんどうしてるかね?」と言って亡くなっていったって言うんですよ。もうその気持ちが、伝わってこないですよ。寂しいですね。そういうことがあっても、生きてて良かったねって、こう言えるような人生を、送ることが出来ているかどうか。道でしょうか、そこを私たちは、今本当に考えていかねばならないときにきてるような気がします。あのぉ、他人のことをどうのこうの言うのは簡単な事なんですけれども、私自身が本当にここに居て良かったって思うときが有るかどうか。今まで思えなかったけれども、今思うようになりましたでもいいんですが、何か不安と不満の中で毎日を過ごしては居ないか。不安と不満の中でどうしたら無くなるだろうかと考えた時に、何を思うのかということですね。さっき唯信鈔という書物の中のお話をちょっとしましたけれども。こういう斎壇を作って、こういう風にお参りをしたら病気が治るとかですね、長生きできるという風にして、ある宗教家に言われた様に、宝をつくしいのちを尽くしてですね、力を尽くして宝を惜しまず。こう言っている姿そのままが私の中に有ってですね、あそこの何々寺に行ったらご利益があるとかですね、ここに行ったらご利益あるといってですね、外へ外へと、こう求めていませんか。 或いは、すこしまじめと思われる方は、私のようなものはぽっくり逝けばいいんだといってですね、ぽっくり寺参りというのが有るんだそうですね。正確に言えば有ったんですね。三重県かそこらにぽっくり寺というお寺があるそうです。去年同朋大学の中村 馨という人が来てくれまして、そのぽっくり寺参りの話をしてくれました。一宮からその三重県まで、バスツアーが出ておったんです。バス三台ぽっくり寺参り。ぽっくり逝きたいぽっくり逝きたい、そういう人たちが、お参りをしとったわけです。そうしましたら、何年か前にですね、三台のうちの一台の中でですね、帰りに一人ぽっと亡くなったんです。効き目があったんですね。「お、これは効き目があった。今度はバス五台にしようか」ということになったのか。そうじゃない。バスツアーが中止になりました。だからね、ぽっくりといってもね、死ぬわけ無いと思って行っているわけですよ。「ああ死にたいもんだ」といいながら、帰ってきて周りを見回して、こんなところに居たくないとかですね、色々言う。面白いもんですね。同じ人が、違うことで悩むから面白い、見ててね。本当に、ああしたい、こうしたいといってるんだけど、全くお腹の中は別のことを考えている。そういう中で生きていながら、本当に生きてきて良かったのかという、生きていて良かったのかねぇ、生きていて良かったと思うことが有ったか。或いは、あるのか。ということをですね、一度こう考えてみたいなぁと思います。

私の居場所

あの、今まで何気なく見ていたような気がしますけれども、そこを出たところに、「凡夫を生きる」という、ポスターがありますですね。ただびとと。『ただびと』とは、どういうひとか。ただの人というのは、どういう人か。生まれとか、年齢とか、性別とか、肩書きとか、全くそういうのを関係なく、ただ本当に、ただ一人の人間として私をどう見るかという、或いはどういう人かと言うことなんですね。 私はそういうところにいてですね、いられるかっていう、呼び掛けなんですよ。もう一方から言えば、あんたはただの人なんだよって言われて、それで満足できるかって呼び掛けなんですよ。どうですか。政治家の方おられるかわかりませんけれども、私の近くに居た政治家はこういいました。「バッチが無ければただの人」と。彼の言動を見ていると、バッチ無ければただの人以下の扱いを受けているという、ものすごく不満な顔をして言いますよ、いつでも。ある時期バッチが無かった時期があるんですね。何か出てくださいというと、私は政治家ではありませんからといってですね、会合に出ないことが有ったみたいですけれども。バッチを付けたらまた現れてですね、それ以上のことを言っておられるように聞いておりますが。その、ただの人って、どういうことか。ただの人って、人間としてのお付き合いと言いますけれども、どうも私たちは、年齢とか、先輩・後輩とかね、或いは経験あるなしとかね、そういう事で差をつけたいような病を、持っているような気がします。ポスターの文を読んでみます。 これまでずっと私を探してきました。これまでずっと私の居場所を探してきました。これまでずっとつながりを求めてきました。しかし、私も知らないずっと前から私を見つけて、呼びかけ続けてくださる願いの世界があったのです。その世界から照らし出されるものは、ただ人という私でした。本当の私をしっていてくださっていたのです。今ここに、ともなる大地が開かれていたのです。 今ここでともに生きていくというのが、このポスターに書いてあったのですが、今まで何気なく見てきました。何気なく見てきたことを、何気なく見てきたなぁと思わないでですね、わたしはどういう思いで見たかといいますと、こんな文章いつここに貼ってあったんだろう、と思ったんですね。こういうの人間の見栄というんですよ。目の前にあって、何となく目を向けていて、読みもしないくせにね、こんなのいつ貼ったんだみたいな気持ちになるというのはね、怖いことですね。この中で、私も知らないずっと前から私を見つけて呼びかけ続けてくださる願いの世界というのがですね、仏様の世界だという風に、表現されているわけです。私たちは、こういう世界を知ることによってですね、「あぁーここに生まれたんだぁ」という実感があるということですね。「あぁー、ここに居るんだぁ」。最初に拝読した三帰依文の中で、身を度すという、これは身の置き所というんです。身の置き所がある。身の置き所があるかないかということ。普段生活をしておられて、自分の居場所があるかないか、居場所がないと落ち着かない。ウロウロしてね、人の心配ばかりしている。うちの息子に何で嫁が来ないのか、隣のぐうたらの息子のところに、あのいい嫁が来ていて、何故うちは来ないのか。こんなにいい息子なのに。そこへ嫁さんが来る事になって、非常に喜んだお母さんが居ます。「やっと決まりました、やっと決まりました」と、私の顔を見るなりに手を握らんばっかりに喜んでおった人がですね、三~四ヶ月ぐらいしたら、目が曇ってくるんですね。あらって思ってすぐわかりますけれども、「どしたの」と言いましたら、「お寺さん、何かうちの様子変わったと思いませんか」とこういうんですね。「別に変ったとは思わないよ」「そうですかぁ。何か私は変ったと思うんですけどね」というんですよね。「人間増えてよかったんじゃない」とこういいましたら、「人間増えて、良かったのは良かったんですけどね」。ですけどねと言いますから、「どしたの。いつごろから、あんたそんなに落ち着かないの?」「いつごろってわけじゃないけど、まぁ、どなたかがここにみえてから、ちょっと気持ちが落ち着かなくなった」と。やっと決まりましたやっと決まりましたと、嫁さんが来るの喜んでたその人はですよ、半年もしないうちに、その人来てからね、居場所がなくなったというわけですよ。孫が出来てからね、また、ちょっと変りましたけれども。何かそういうようなことを、自分で感じるということはですね、感じることが大事なんですよこれ。居場所なくて可哀想だねじゃなくてね、居場所がないんだって、大変だぁって思うことと同時に、自分の居場所はどこかって感じることが、すごく大事なことだと思うんですよね。そして、居場所を見つけることが大事なんですよ。必ずあるんですよ、自分の居場所って。だから、人間は、乱暴ないい方しますけれども、最近ぼけるという言い方は出てこないといいますけれども、人間がぼけるということはね、自分の仕事を取られてしまうことなんです。何もしなくてもいいよって言われると、一番つらい。今までずうっと働いてきてくれたから、お父さん・お母さん、今度は私たちがしますから、何もしないでくださいというのはね、一番つらいんだそうです。皆さんのところで若い人たちが、「おやじ、おふくろ。今までずうっと働いてくれたから、今度はあんたたちの部屋を作ろう」といって、増築の話をしたら、ちょっと気をつけてくださいね。「いやいやいやいや、お金はあるから大丈夫。十畳もあればいいか」といってですね、「そっかぁ、それは、悪いなぁ」といって、その様子をみてください。逆のすすめなんですけど、壁が白くなったら要注意です。窓が高くなったら要注意です。テレビもある。それから「ご飯は、どうぞ二人で、水いらずで食べてください」とご飯を運んでくれるというのは、これって要注意ですよ本当に。先ほど言いましたように、条件はただ四つ。①こちらの方には来ないでくれ。②電話も出なくて結構。③何にもしなくていいから。④してほしいことがあったら言ってくださいといって、増築されたら要注意ですよ。一週間もしないうちにおかしくなりますよ。どちらかが。これはそれこそ、テレビのテロップじゃないけれど、良い子はまねをしないでくださいと流したいぐらい。だけど、そういうところへ何かこうね、自分自身の気持ちがいく、そうなるということも実際ある。こんなもう、ざわざわしたところに居たくない。なんか、部屋でもひとつ片付けて、そこでちょっとのんびりしたいなと、こう思いはじめたら、ちょっと要注意ですね。

無有代者の存在

そういう事ではなくて、例えばですね、私の近くに百五歳まで、生きたお婆さんが居りました。一ヶ月前まで非常に元気だったんです。その方はね、耳は遠かったんですが読書するんです。読書する。新聞も半日かけてね、隅から墨まで読むんですね。頭の回転は非常にいいんですけれども、ただ耳が遠いもんですからあれなんですが、この方は孫やひ孫と一緒に住んでおりました。というのはどういうことかというと、間が抜けちゃったんです。お父さん・お母さんのところが抜けちゃったんです。息子夫婦が居なくなっちゃったんです。それで、「おばあさんどう?」というと、「もう嫌だよ、早く死にたいよ」と口にはしておりましたけれども。孫夫婦が、勤めておりますので、朝になると台所の片付けもそこそこにして、出かけていくんですね。そして、ひ孫も学校に行きますね。そして、そのおばあさんはですね、その茶碗洗いをするわけです。茶碗洗いね。そしてね、孫夫婦は帰ってくるとね、「おばあちゃんありがとうね」って、言うんですよ。そうするとおばあちゃんはね、「いや、こんなことぐらいしか出来ないけれども、これで喜んでもらったかねぇ」って、喜ぶわけです。「いやいや本当に助かったわぁ」と、喜ぶわけです。で、見るとね、ちょっと洗い落としみたいなところがあるんですって。力がなくなっているからね。だけど孫夫婦は、「ありがとう」って言ってたんです。これがね、そうじゃなかったらどうなりますか。頼みもしないことやって、水ジャージャー、ジャージャー出してもったいないじゃないのよって言たんじゃね、もう大変なことになるんです。この人が九十七歳のときに、骨折して入院した。九十七歳で入院するのもすごいけど、医者もビビッてですね、手術するにはどうしたらいいだろうかって言ったら、おばあさんは、「私は歩けなくなると困るので、手術してください。」と頼んだそうです。脂汗かいてリハビリして、治っちゃった。で、九十七歳から百五歳まで生きたわけです。で、九十七のときに入院してですね、その小学生にね、「おばあさんが入院したんだから」、あんたたち駐車場から入ってこうしてと言って、要するに鍵っ子にするために、鍵ここにあるからという話をしたんだそうですね。そうしましたら、養護教諭という保健室に居る先生から、呼び出しが来たんですね。「お宅でなにかあったんですか?」と言うんですって。何もないけどどうかしましたかと言いましたら、「この子は、何か最近寂しがって、家に帰りたがらない」。早く帰らないとみんな心配しているからといって二、三日ごまかして帰したんだけれど、何かしぶしぶ足取りも重くて帰ってたんです。三~四日して、なんと言うかと根気よく聞いて居たらね、「うちに帰っても誰もいないんだぁ」と言いましてね。大人は、留守なのわかっていますから、留守の家にどうやって入るかって事ばっかり心配してた。子供は、居ない人のことを思って、寂しくてしょうがない。そこで、人間は居るだけで存在感があるということを、このおばぁさんが教えてくださっていることを、養護教員に教わったって言うんですよ。学校の先生であるそのおかあさんは。居るだけで凄い人なんだっていう。こういうものは、実は、私たちの家族を含めて、皆さん方もそれぞれのところである。居るだけで凄い人とは、どういうことかというと、代理が効かないということなんですよ。さっきあったじゃないですか、無有代者っていって代理が効かない。代理が効かないって事は、その人じゃなきゃならないということがあることですね。病気になりたくないけれども、病気になったことから教わるということがあるんだそうですね。私は健康体なもんですから、よくそういうことは解らないですけども。病弱なんでしょうかね、病院に入ったりしたりする人の家族の話を聞きますと、何かこう病院にいくことがですね日常茶飯事になってるんですけれども、でも病気を通してですね、いろんな事を教わるということを聞いたことがあります。ですから、病気も望んでなるものでありませんけれども、なったことから教えられる。今まで思いもしなかったことから、教えてもらうということをですね、老・病・死というものがですね、私たちに呼びかけている様な思いがしているわけです。そういう意味で、代理が効かないということと同時に、その人でなければということと同時に、もうひとつ、何故この人と一緒にいるのかという事をですね、考えてみることも大事なことなんだろうなって、こう思っています。

苦を生み出す

さて、もう少し与えられている時間がありますので、もうちょっとお話をしていきたいと思います。今日用意しました最後の方になりますけども。人生はですね、どういう人生かというと、先ほど苦悩の有情という言葉を出しましたけれども、まぁ、四苦八苦とこういいます。この苦って言うのは、苦しみ悩むということだけではなくて、一つには自分の思うようにはならないという意味が、苦ということであらわさられているそうです。この四苦八苦というですね、四苦という上に、四つ重なって八になるということですね。四苦と言うのは、老・病・死の上にですね、生まれるという字を書いて、生・老・病・死と言うんです。それに、あと四つのうちの二つを出しておきましたけれども、愛別離苦、怨憎会苦といいます。 愛別離苦というのは、親しくしていた人と別れる、別れなければならない苦しみ。もう一つは、人生生活をしておりますとですね、もう顔見たくない人と顔を合わせなくちゃならない苦しみですね。こう、二つある。これは、愛しい人とか親しい人と、嫌なやつというですね、字の上ではなってますけれども、皆さんもご経験があると思うんですけれども、これは二種類の人間がいるわけでもありませんよね。そうでしょ、二種類の人間いるわけじゃないでしょ。「あぁ、こんな人に会えてよかった」と思う人と、同じ人のことを「何でこいつはこんなやつなんだ」と思うんじゃありませんか。経験がお有りかどうかわからないけれども、結婚式のご本人たちの話を聞いてください。「今の思いをいつまでも忘れないで・・・。」って嘘ばっかり言って。お前、よくそんなこと言うねっていうようなことを、よく耳にしたことがあります。いかがですか。これも以前話をしたことの繰り返しになりますけれども、私の知り合いが、結婚して半年ぐらいしてきたんですよ。「もう、こんな奴とは思わなかった」って言うから、「別れたければ別れていいけど。あれだよ、おれも含めてみんな、おめでとうおめでとうと言った人、あの時何人かいたんだから。そこずっとひとまわりして来な」って言ったんですよ。あの時皆さんに「いつまでも」って言ったけど、その「いつまでもが半年で変わることになりました」って。「気持ちが変わります」と言って回りなって言ったら、「亡くなった人もいる」というから、「亡くなった人が居たって俺は知らんよ。そんなこと、あんたたちが考えたことなんだから。でもあのとき言ったこと、ちゃんともうみんなそう思って、幸せにねって言ったんだよ」って話をしたんですね。中々言うことを聞きませんから、女の子にですね、「どうしてそんなに思う?」って言ったら、「いやぁ、もうちょっと優しい人だと思いましたけれども。」「あぁそうか、優しくないのか」「はい、冷たいです。」「まぁ、確かに冷たいわな、こいつは」「どうもならんな。今から思えば、俺も相談受けたときに一緒になれと言わなければ良かったかなぁ」と言ったんです。そしたら女の子がですね、「先生、そこまで言わなくてもいいじゃないですか」「何を言ってるんだ。あんたがそう言ったから、もっと分かるように言ってやったんだ」と言ったら、「この人にも、少しは良い所もあるんですよ」というから、それはいいねって言ってですね、結局もとの鞘に収まったんですけど。そういうことなんですよ、同じ人をどう見るかっていう。だから今までは、もう会いたくて会いたくてしょうがないということではなくて、頼りにしていたり、あるいはちょっと何か有った時に相談をしたりという意味で、非常にこうある程度便利に利用させてもらった人が、別れるということがね、「困ったわ、こんな人が居なくなっちゃったどうしよう」という風に思うの含めて、愛別離苦というのがあると思います。 怨憎会苦というのは、何かあると同じようにやってくるんだけれども、色々仕事は出来るんだけれども、何かと一言多い。そういう人居ますよね。千葉県にそういう人居ませんかね、新潟にはそういう人多いんですよ。ちゃんと仕事やってくれるんだけれど、最後の最後になるとね、こんなの俺じゃなくても出来るんだから、もう俺にこんなことさせるなとか言う人いるんですよ。こんなことあんたでも出来るだろうとか、私のほう指差して言うからね、「すいませんね、いつもお世話なります」というんだけど、あんたなんか会いたくないわぁと思ってるんです。でも何かこう行事になると、必ず中心になる人なんですね、こういう人っていうのは。ですからそういう人を立てなくちゃならないという苦しみ。それから、今度はあの人にやってもらおうという人が病気になったりする。そういうもの、別れるって、なにも死ぬことばっかりでなくてですね、そこに来てもらえないとかを含めて、そういう苦しみを私たちは持っているわけです。 この「愛別離苦」と「怨憎会苦」というのは、前の生・老・病・死と違って、これは自分自身の縁によって起きるものなんです。私がすごく親しいと思っている人も、人によっては嫌なと思う人もいるわけです。俺は嫌だなぁと思う人もですね、人によってはこういうときはあの人じゃないとならないという人もいる。まさしく私に与えられた縁のことですから、それはそうなんですけれども。ただそれに対して、前の生・老・病・死というのは、これは必ず通らなければならない道です。生死とこういうんです。生死の一大事とこういいますけれども、生まれることと死ぬこと。生死とこういいますけれども、実際は私たちが問題になるのは、私たちが生きる上で問題になるのは、実は老と病ではないかなってこう思うんです。老老介護って言葉もあります。病院の中の医師不足ってのもあります。老と病、できれば避けたいけれども、歳は残念ながら一つ一つ年を取って行くことがあります。病気だって本当はなりたくないんだけれども、なってしまうこともあります。

受け取り方が変わる

そういう中で私たちは、その生きるということを考えますけれども、しかし生きてきたということを振り返って、いい人生だったかどうだろうかということを振り返るということをですね、老と病の中で考えていくことを今与えられているというような、そんな思いをしながら、このお彼岸を今迎えているんだと思うんですね。仏教を、あるいはお念仏を申すことで、ご自身の生活がどのように変わるかということですね。例えば、日当千円だった人がですね、今日は浄願寺さんに声かけられたから、お参りに来た。こちらに来られたとしてですよ、明日になったら日当一万円になるという、そんなようなものではないんですよ。お寺参りの効果っていうのは、千円の話をしたから千円にこだわるわけではないけれども、その千円のをどうやってこう有効に使うかということを考えていくということだとか、或いはどうやって使ってきたことが有効なことだったのかとかですね、無駄だと思ってきたけれども、その無駄もちゃんと引き受けてこれから生活していくというですね。いわば覚悟みたいなものを、自分の中でこうお考えなるということですね。そういうことが、実は大事なんじゃないかと。そういうことが、実は世にいう、救われるという意味ですね。落ち着くということではないかと思うんですよ。おちつくということは、「落ち着く」と書きますね。落ち込むと落ち着くは、これは屁理屈なんですけど、どうも人間は着くというところが分からないと迷うようであります。着くところが解らない。到着点が分からない、という事ですね。そして何故か、自分がやってきたことだとか、考えてきたことが、正しいと思い込んでしまう。 禅宗でよく言われる話だそうですけれども。山道を歩いていてですね、がけから転がりおちた。たまたま手を伸ばしたら、枝か根っこ掴まってですね、ようやくそこに止まった。「助けてくれ、助けてくれ」って。バタバタバタバタ、足をばたばたしていたら、通る人は「ん?」って何気なく通っていく。冷たい奴だなと。何人か通り過ぎた後に、誰が「手を離したら助かるよ」ってこう言った。何を言ってるんだとこう思った。何を言ってるんだというときには、人間は不思議に転がり落ちてきたところをまた上へ上がることを考えている。上がることが助かることだと思っている。ところが通った人が手を離せって言ったのは、「手を離しなさい。下は30センチぐらいしかないよ」と言っている。それがバタバタバタバタしていて解らないという所で、我々は悩んでは居ないか。「あと30センチで下に着くんだよ」って教えてもらえばですね、「あ、そうか」と手を離すんだけれども。この手が中々離れないということでね、迷ってるんだということを表しているんだということを言った人が居ますけれども、そうじゃないですかね。 もう一つ、受け売りですけれども、禅宗の公案と言うものがあります。精進料理を作る。禅宗は精進料理をつくりますから、禅宗のある坊さんがですね、鯨の肉で精進料理を作れという公案を出したんですって。鯨の肉で精進料理をつくれって。皆さんは出来ますか。これも落ちていく坂とおんなじでね、油だけ使うとかね、鯨の肉を使って何か形を作ったらいいじゃないかといったり、野菜の形をつくるとかね、そんなことばっかり考えていたらしいんです。答えは簡単だったんです、意外に。「鯨を売って、豆腐を買う」んですって。ね、こういうのを頓智(とんち)って言うんですよ。この橋渡るなといったら、真ん中通った一休さんみたいなもんでね。こういうことが考えられるようになるまでは我々は聞法というものをですね、していくんだろうし、こういうことが考えられることが聞法の功徳だと思う。それは、今日聞いたからいいとか、明日聞いたからいいということではない。何年聞いたらいいということではなくて、突然やってくるものだと思うんです。「あっ、そうだ、こういうことだったのか」という。だから、そういう事をするために、毎日私たちはしてるのかなぁと思いますけども、それが目的になると、先ほど住職が言われたように、毎朝のお勤めも、そのためだ、そのためだと思っていると苦痛になります。苦痛になりますけれども、何気なく勤めているような中にも、何かを見つけて行くっていうことが、私たちにはっとこうさせるものではないのかなって、思っています。ええ、なにかこう、すいません。いつものことながら、ばらばらな話をしていますのは、私の気持ちがばらばらでありますので、そうでありましたけれども、今年もまた、六十代の最初に、こちらに来ることが出来たことを、本当にうれしく思っております。今日はどうもありがとうございました。

[ 文責 浄願寺 ]