2007年1月 日曜聞法会講義録「無量寿仏の名を呼ぶ」

日曜聞法会 講義録「無量寿仏の名を呼ぶ」
(2007年1月14日/講師 北條頼宗師)

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はじめに

今年も宜しくお願いします。今日は新年会ということでが、いつもは第2日曜日に日曜聞法会ということで、毎回お話をさせていただいております。今は『仏 説観無量寿経』という経典を皆さんと一緒に読ませていただいております。

この『観無量寿経』にはですね、まあいろいろ書いてあるんですけれども、最終的にその『観無量 寿経』で言いたいことは、「南無阿弥陀仏をしなさい」ということにあるわけです。ただ、この「南無阿弥陀仏をしなさい」という言葉を、受け取るこちら側の 問題として、その言葉を受け取ることがなかなか難しいということで、お釈迦様がですね、そういう受け取ることが出来ない私達に寄り添うかたちで経典を展開 されていると、教えを説かれているというのが『観無量寿経』でありますから、非常に分かりにくい経典でもあるということであります。

それで、毎月の聞法会では、まだ最後のところまでいってないんですが、今日はその最後のところ から少しお話をさせていただこうと思います。この最後にはですね、「汝もし念ずることあたわずは、無量寿仏と称すべし」というお言葉がありまして、一番最 後にはお釈迦様が、阿難尊者に対して最後の最後ですけれど、「汝よくこの語(ことば)を持(たも)て。この語(ことば)を持(たも)てというは、すなわち これ無量寿仏の名を持(たも)てとなり」という言葉がありまして、こういう言葉があって『観無量寿経』は終わるんです。要するにですね、南無阿弥陀仏とい う言葉がもちろんあるわけですね。南無阿弥陀仏を申しなさい。こういう言葉があるんですけれども、それじゃあ、南無阿弥陀仏ということがですね、言葉とし て言うことは容易(たやす)いことなんですけど。

南無阿弥陀仏というのは実は・・・・。あの、名号という言葉を聞いたことがありますか?南無阿弥陀仏というのは仏の名前。要するに、「名を呼べ」とこう言っているわけです。「南無阿弥陀仏と申しなさい」というのは、「仏の名前を呼びなさい」こういってるんですね。

それで、南無阿弥陀仏といっても、よく分からないわけですね。「南無阿弥陀仏」と言うことは簡 単ですけど、よく分からない。その南無阿弥陀仏というのはどういうことなのか、南無阿弥陀仏の名前を呼ぶことはどういうことなのかというと、無量寿仏の名 前を呼ぶということなのだと。

そして最後に、お釈迦様は最後に「この語(ことば)を持(たも)て」と言っているんですが、い わゆる普通で言うところの、何かを持(も)つという意味ではなくて、持(たも)つというのは自分のところにいつも持(も)ってなさいと、持(も)ち続けな さいという意味が持(たも)てという意味なんです。「この語を持(たも)て」というのはどういうことかというとですね、無量寿仏の名前を持(たも)てとい うことなんですね。『観無量寿経』は、こういうかたちで終わっています。

御流罪八百年から気付かされたこと

今日は何をお話したいかと言いますと、実は皆さんこの赤い本を今お持ちですよね。(赤いお勤めの本を示す) これを見ながらお話したいんですが。

今日も『正信偈』を皆さんとお勤めしましたが、この『正信偈』というのは、親鸞聖人が書かれ た、まあ「うた」といっても良いし、これが私ども門徒にとっては一番身近なお聖教といってもいいと思います。『観無量寿経』や『阿弥陀経』や『大無量寿 経』や、他にもたくさんありますけれども、その中で一番よく読まれているのが、この正信偈ですね。

皆さんもよく読まれていると思いますが、私なんか、仕事柄毎日少なくとも5回。ひと月でいえば 150回くらい読んでいるんですね。十日で50回、一ヶ月で150回、1年間でだいたい1800回くらいは読んでいるんです。そういう計算になります。要 するにその、私もこういう衣を着るような仕事をして20年位になりますから、それこそ36,000回くらい読んでるんですね。毎日のように『正信偈』を読 んでいる。

この正信偈というのはですね。これは昨年なんですが、ある時思ったことがあるんです。それはど ういうことかと言いますと、何度かお話していますけれども、今年ですね、親鸞聖人が念仏弾圧の法難にあって越後に流罪されて、ちょうど800年という年を 迎えるわけです。私は新潟県の上越市というところで、高田教区というのですが、高田教区ではいろんな研修、それから法要やイベントですね、そういうものを 計画してますし、もう既に行われているものもあるんですけれども、これは1月号の同朋新聞を見ていただくと書いてあります。ちょうど真ん中辺りのところ に、海の、居多ヶ浜の写真のところに書いてあります。浄願寺さんでも高田へ旅行を計画されていると、昨日お聞きしました。その親鸞聖人の御流罪に心を致し て、私自身も近くの若い人たちと一緒に学んできたということがあります。

まず時代的な問題、鎌倉時代というような時代、何で親鸞は流罪になったのか、そして念仏が弾圧 されたというが、何で念仏が弾圧されなきゃならなかったのかということがあります。その、弾圧されるような念仏とはどんな念仏なのかということもありま す。いろんなことがですね、その時代の状況とか、他の、それを批判して書かれたものとかですね、いろんなことが資料として、手に取れるものとしても幾つか ありますけれども。ずーっと学んでいた中で、立場上いろんな方のところでお話しするときもあるんですけど、ただその時に聞かれた皆さんが結構質問されると いうか関心を持たれるのはどんなことかというとですね。例えば、親鸞聖人の奥さん。親鸞聖人は正式に結婚した僧侶としては日本で初めて、世界で初めてと 言ってもいいんですけども、まあそういうことがあります。いわゆる妻帯。それから家族を持つこと、子供を持つことがあります。それにもですね、恵信尼とい う方の名前が分かっております。恵信尼さんはですね、恵信尼さんだけだったのか。後妻さんだったんじゃないかとかですね、お子さんは何人いたのかとかです ね、まあそういうこととか。親鸞聖人はどうやって京都から居多ヶ浜まで来たんだとか。どうやってきたのかですね、いろんなことがやっぱり気になるという か、質問されたりして、そういうことも分かる範囲でお話してきたんですけども。お話していく中でふと思ったのがですね、本当のことは正直言って分からない んですね。分からない。どこまでも想像の範囲を出ないと。

例えば親鸞聖人が越後に流罪になっていらっしゃった場所というのは、国分寺の中の「竹ノ内の草 庵」という場所であると伝えられている。今もその「竹ノ内の草庵」というのはあるんですけど、それと聖人がいらっしゃった草庵と、もちろん建物は違います けれども、その場所かどうかも分からない。当時、国分寺がどこにあったかもはっきりしない。今在るところに800年前からあったのかどうなのかというと、 どうも違うらしい。それではどこなのか?いろいろ議論があります。まあそういうこともありまして、いろんなこともそれぞれに調べたりされている方もあるん ですが、やっぱり分からないものは分からないですね。それでこういう説でありますとか、こういうふうに言われておりますというようなことは言えますけれど も、はっきりとこうですとはなかなか言えないこともある。

そういうことをいろいろ繰り返していく中で、どういうことが思われてきたかといいますと、何で 分からないかというと親鸞が書いていないからなんですね。つまり親鸞が、「私の奥さんの名前は恵信尼という方です。この人一人だけです」と書いていれば分 かる。自分の子供は何人いて、長男がこういう名前で次男がこういう名前で、長女がこういう名前で、この人はどこに嫁にいったとか、全部書いてあれば、いち いちそう言われておりますなんていう必要がない。私は京都からこうこうこういう理由があって、こういう道を通って、どこから船に乗ってどこから来ました、 とか書いてあれば、分かるわけです。ところがそういうなんていうか、いわゆる私がいろんなところでお話した中で、皆さんが関心を持たれることについては、 親鸞はほとんど書いていないということが改めてわかったわけです。

では、書いていないということはどういうことか。しかし、親鸞の著作物はかなり多いです。正信 偈が入っている『教行信証』という書物自体も、かなり膨大なものです。1日では読めません。理解するのではなく、ただ言葉にして読んでいるだけでも、朝か ら晩までかかります。それでも終わるか終わらないか。かなり読みなれた人が読んでも、朝9時から読んで夜の10時くらいまでかかります。もうひたすら読ん でいるだけですよ。理解とか全くしないで、ただ読んでいるだけでもその位かかかる分量があるんです。もちろん親鸞聖人の書かれたものはそれしかないわけで はなく、他にもたくさんある。今日読んだ中では和讃というものもありますね。これも何百とありますからなかなか読みきれません。

親鸞聖人に遇うとは?

そうするとこの2011年ですね。もう4年後になりますけれども、親鸞聖人750回忌というものがですね、京都の本山では盛大に勤められると思います し、もちろん地方でもまたその後勤められると思いますが。いわゆるコンセプトといいますかね、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということが基本的なテーマ となって、750回御遠忌がお勤めされます。 この今年行われる御流罪八百年ということもですね、もちろんそういうことと違うことをするとい うわけではありません。ただその時に見えてきたことというのはですね、親鸞聖人に遇うといっても、なにか違っているのではないかと思うわけです。つまり、 どういうことかというと、親鸞聖人はたくさんの書物を書き残されたけれども、多くの皆さんが関心のあることについてはほとんど書いていないということがあ るわけです。そうすると皆何か書いていないことに非常にミステリアスというか謎の部分もあってですね、確かにそういうのは面白いと。謎解きみたいなもんで 面白いといえば面白いですけど、親鸞はそんなことを望んではいないんじゃないかと。つまり親鸞は、このことを分かってほしいということについて書いてい る。だけどそんなことどうでもいいことについては書いていない、というふうに簡単に言ってしまったほうが良いんじゃないかということを、いろいろ学んでい くなかで改めて思ったわけです。

親鸞とは『教行信証』である

これはまあ私を含めここの住職もそうですけど、先生からですね、この学び始めた頃に言われたことがあるんです。それはどういうことかというと、親鸞とい う人がいて何をしたとかこれを書いたとか、こういうことを考えるけれども、そうではないんだと。私達には、『正信偈』といってもいいし、この『教行信証』 といっても、まあ『正信偈』が入っているのが『教行信証』なんですが、この『教行信証』という書物を書いた人がいるのは間違いない。書物があるんだから。 書物があるってことは、これを書いた人がいるのは間違いないですね。で、この書物を書いた人を私たちは親鸞と呼ぶんだと。だから私たちにとって親鸞とは、 『教行信証』なんだと。もちろん和讃でもいいし、他でもいい。他に『愚禿鈔』という大事な書物もあるんですが、まあひとつ簡単に言ってしまえばですね、 『教行信証』を書いた人が親鸞聖人であると。私達が親鸞聖人、それこそ宗祖として出遇うべき親鸞聖人というのは、この『教行信証』なんだと。『教行信証』 を書いた人である。そのほかに何かですね、後から調べて分かったこととか、そういうようなこともあるかも知らないけれども、『教行信証』を書いた人が親 鸞。それが私たちの宗祖である。こういう言われ方をしたことがあります。で最初はよく分からなかった。何を言っているんだかよく分からなかった。 今日、あまり時間もないですが、ふれるだけになるかも知れませんが。昨年ですね、ある時気が付 いて思ったのはどういうことかというと、『教行信証』、特にその中にある『正信偈』ですね。『正信偈』。その先生の言われ方からいうと、『正信偈』を書い たのが親鸞なんだとこういう言い方ですけども。もうちょっと言ってしまえば、『正信偈』が親鸞なんだと。そう言ってしまったほうが、私は良いんではないか と。『正信偈』が親鸞なんだと。例えて言えば、小説家で言えばね、ドストエフスキーが「罪と罰」を書いたというけれども、そうじゃなくて「罪と罰」がドス トエフスキーなんだと、こういう感じなんですね。もちろんドストエフスキーが「罪と罰」しか書いていないわけではありませんが、そこに表そうとしているも のが要するにドストエフスキーなんだと。

親鸞という名

親鸞という名前は、まあ名前にこだわりたいというものがあるからこういうことを言っているんですけれども。皆さんお名前があると思うんですけども。名前 が無い人がいないわけですね。皆名前がある。親鸞という人の名前というのは、というと何言っているのかと思われるかもしれませんが、親鸞という名前という のはですね、この『教行信証』を書いた時に使った名前なんです。『教行信証』を書く時に使った名前であるけれども、この名告りをしたのが御流罪の時です。 要するに念仏弾圧で越後に流されて、僧籍も剥奪されてですね、放り出されたその時に名告った名前が、親鸞という名前なんです。正確に言えば、愚禿釋親鸞と いう名前ですけれども。その流罪の時に名告ったこの名前でもって書かれたのが、『教行信証』という書物なんです。 ご存知の方もあると思いますが、親鸞というように名告るようになるのは、流罪以降です。つまり 今から800年前から名告り始めた。それまでは親鸞という名前を名告っていないということですね。その前に名告っていた名前というのは、綽空(しゃっく う)という名前と善信(ぜんしん)という名前を名告っていた。その前には範宴(はんねん)。親鸞という人は9歳の時に得度して、それで大谷派では9歳から 得度できるんですけれども、その時は範宴という、もともと範宴少納言の公というですね、貴族の名前として範宴という名前もあるんですが。いわゆる僧侶に なってからはですね、綽空という名前と善信という名前を使って、それで流罪以降に使った名前というのが親鸞という名前と善信という名前です。

『正信偈』とは

『正信偈』を開いてみてください。浄願寺さんの勤行集34ページからはじまる『正信偈』とはどういうものかと問われたら、どういうふうに言ったらいいの か。それは「南無阿弥陀仏とは、いったい何だ?」という問いに対して、つまり南無阿弥陀仏申せといわれても南無阿弥陀仏がわからないので、南無阿弥陀仏と 言ってみたところでなんだか分からないということがあるので、南無阿弥陀仏とはいったい何かということについて書かれているのが『正信偈』である。まず無 量寿如来に帰命することである。そしてそれは不可思議光に南無することである。まあこういうふうに2つの言い方で南無阿弥陀仏が先ず表されている。ところ が、それだけでは分からないですね。無量寿仏の名を称えるというけれども、それではわからない。今度は、無量寿仏とはいったい何だ?となりますね。不可思 議光とは何だ?こうなりますね。 それでその後に書いてあるのがその事を明らかにするために、法蔵菩薩因位の時世自在王仏の所 (みもと)にましまして、諸仏浄土の因を覩見してというふうにですね、法蔵菩薩の物語をここにあげているわけです。つまり南無阿弥陀仏がどうして南無阿弥 陀仏になったのかということがずっと、これは大無量寿経の中に説かれている法蔵菩薩の物語を引きながら、この念仏というものを、どうして南無阿弥陀仏なの かという事が、同時に不可思議光という光についてずっとありますね。37ページを見ると光ということが、36ページから37ページにかけてずっとあります ね。

普放無量(光)無辺光、無碍(光)無対(光)光炎王、清浄(光)歓喜(光)智慧光、不断(光) 難思(光)無称光、超日月光と光という字が省いてあるところもありますが、十二の光で表してあるんですね。光とは用(はたら)きです。無量寿如来というこ とで、その如来はいったいどういう・・・。無量のいのちの如来であること、それから念仏のもっている用きについて。智慧を・・・。用きが要するに智慧なん ですが、それを光で表して。その光には12種類の用きがあるというふうに表していきます。

で、今日はそんなに詳しくお話をする時間はないので、そこのところは飛ばしていきますが、要す るにそういうことをずっと、大無量寿経からずっと来て、それを明らかにしたのはいったい誰なのかというと、それがお釈迦様なんだということを言っているわ けです。つまり前半でですね、もちろん大無量寿経を説いているのはお釈迦様です。つまりこの南無阿弥陀仏を明らかにするときに、この前半においては主に大 無量寿経に依りながら、つまりお釈迦様ですね、お釈迦様に依りながら南無阿弥陀仏とはこうなんですよと、この44ページまで、そういうふうに説いてあるわ けです。

そして44ページの最後のところ、ここをちょっと見ていただけますか。「弥陀仏の本願念仏は邪 見?慢の悪衆生にとっては、信楽受持すること甚だ以って難し、難の中の難、これに過ぎたるは無し」こうなって前半は終わっているわけです。つまりどういう ことかというと、南無阿弥陀仏ということをお釈迦さんの教えに沿って、ずっと書いてあるんだけれども、邪見?慢悪衆生においてはですね、そのことを信じ る、あるいは受持というのは受け持(たも)つということができない。これよりも難しいことはない。「難中之難(なんちゅうしなん)無過斯(むかし)」です ね。これより難しいことはないんだというふうにですね、44ページでおさめてある。つまりどういうことを言っているかというと、お釈迦様がせっかく南無阿 弥陀仏の教えを私たちに説いて下さっているのだけれども、それを受け取ることが出来ない。しかも持(たも)つことが出来ない。そういうことがここまでに書 いてある。

七高僧 我が身の自覚

それで45ページから何が書いてあるかというと、非常に面白いことが書いてあるんですね。「印度西天之論家(いんどさいてんのろんげ)、中夏日(ちゅう かじち)域之(いきの)高僧(こうそう)」印度や中国や日本に生まれた高僧の方々がですね、「顕大聖興世正意、明如来本誓応機」、「大聖」というのは、お 釈迦様のことです。お釈迦様がこの世に生まれた意味、本当の意味を明かしている方々がいらっしゃる。印度と中国と日本にお釈迦様がこの世に生まれたことの 本当の意味を明らかにしてくださっている方がいらっしゃる。しかもそれは、「如来の本誓は機に応ずることを明かす」つまり「如来の本誓というのは機に応ず る」とはですね、人間に応じているんだということを明らかにしているんだと。 それで46ページは、「釈迦如来楞伽山にして衆の為に」そこにいる人達の為に告げて。まあ要す るに、お釈迦様が印度の楞伽山において、そこにいる人々にこういうふうにおっしゃった。何をおっしゃったかというと、自分が死んだ後、南印度に龍樹(りゅ うじゅ)大士(だいじ)という方が現れる。ここに出てくる龍樹という方が、要するにその七高僧、親鸞聖人が七人のインド・中国・日本の、お釈迦様がこの世 に生まれた意味を明らかにしている方として名前を挙げている、その第1番が龍樹です。

龍樹、そしてその次に49ページに載っているのが天親(てんじん)。そして52ページに出てい るのが、曇鸞(どんらん)。56ページの一行目が、道綽(どうしゃく)。で、『正信偈』は一辺切れます。57ページの一行目が、善導(ぜんどう)。59 ページ目が、源信(げんしん)。そして最後が、61ページの源空(げんくう)。源空と言うのは、法然(ほうねん)上人のことです。この七人の方々を挙げ て、それを如来の本誓機に応ずることを明かす。つまり如来の本誓が、人間に応じて説かれる。つまり人間がいなければ如来の本願というものも無いというこ と。そういうことを七人の方々が言っている。七人の方々というのは、念仏、つまりお釈迦様が顕かにされた念仏の教えを自分の身に受けて、そしてその念仏 を、さっきのところで言いますと、信楽受持甚以難、難中之難無過斯ですから、つまりその教えを信楽し。つまり信じて、受持された、その身に持(たも)った 方として、七人の名前が挙げてある。

これは今迄も言ったことがあるんですが。よくよく読むとですね、ちょっと龍樹のところは分かり づらいですが、天親菩薩のところで言いますと(49ページ)、「天親菩薩造論説」とあってその次のところですね、「為度群生彰一心」とありますね。つまり 「群生(ぐんじょう)」という言葉があります。この『正信偈』の中で、天親のところには群生(ぐんじょう)という言葉がある。普通あまり群生(ぐんじょ う)と言わないですよね。群生(ぐんせい)と言いますよね。群生しているというのはどういうことかと言うと、野原なんかにウジャウジャと生(は)えてい る、ウジャウジャと生きているものを群生(ぐんせい)していると言いますよね。

だからこの、私達は人間と言いますけど、実は仏教の経典の中には人間と言う言葉はほとんどない んです。人間というだけでは、生きている内容が明らかにならない。人間の生きている様を表している言葉がこういう言葉です。つまり人間とは、ウジャウジャ と群れて生きている、そういうふうなものとして、天親菩薩は人間を見ている。

それから曇鸞でいうとですね、(54ページ)「惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)」という言葉 があります。惑染の凡夫とは何かというと、惑はまどう、染とは染まるという字ですけど、何に染まっているかというと、煩悩に染まっているということです。 煩悩に染まって惑う、そういうもの、凡夫。

道綽のところは、何と書いてあるかというと(56ページ)、「一生造悪」と書いてある。人間と いうものは、一生悪を造る者だと。善導大師はですね(57ページ2行目)、「定散と逆悪」。人間は、定散であり逆悪である。源信はですね、(60ページ1 行目)「極重悪人」。法然のところは(61ページ2行目)、「善悪凡夫人」と書いてあります。

その全てを受けて(63ページ)、こういうそれぞれの方がそれぞれの言葉で、人間というものを 言い表わしてくださった、その全てを受けて「弘経大士宗師等」この七人の方がですね、拯済(じょうさい)とはすくう。無辺の極濁悪をすくう。道俗。道とい うのは僧侶ですね、俗は僧侶でない人々。そのときを生きる全てのもの、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし、といって『正信偈』は終わっていくわけで す。

まあついでにというか、龍樹のところはちょっと分かりづらいんですが。あえて言えばですね、 (46ページ)龍樹大士世に出(いで)て、「悉(しつ)能摧破(のうざいは)有無(うむ)見(けん)」、悉く有無の見を破る。これが人間の姿。有無の見と は、有るといえば有るに、無いといえば無いにこだわる。幽霊のようなものを見たら、幽霊が居るということにこだわるんですね。幽霊を見た事と、幽霊がいる ということは、実は違うことなんです。UFOを見たことと、UFOがいることとは、実は違うんです。わかりますか?

あの、見たのは見たんだから、それは見たんでしょうね。それは別にウソでもなんでもない。だけ ど、見たから有るかどうかは別の事ですね。無いといえば無いにこだわる。つまり人間の執着心というやつです。人間は、なにかというと、有るとか無いとかい うことにものすごく執着する。要するに、ものすごく執着する存在だということを、有無の見という言い方で言われている。こういうかたちで人間をですね、ま あ自分をですが。龍樹という方は人間をそういうものとして見たということではなく、実は自分自身がそうだということなんですね。

これは皆、天親菩薩の群生というのも、高みに立ってですね、人々が群れて生きているすがたを見 て、あれは群生だと、こう言ってるんではなく、自分の生き方が群生なんだと。曇鸞も、煩悩に染められて、そのことに惑う、そういう唯の人であるということ ですね。道綽にいたっては、一生悪を造り続けると。自分に対してのことばです。自覚。善導でしたら、定というのは精神集中、散というのは乱れた心の中で何 か善をなしていこうとするそういうもの。つまり、定散とは言ってみれば善。逆悪を悪。善と悪。源信だったら、極重の悪。源空でしたら、善悪の凡夫人。自分 がそのように教えられたわけです。

つまり念仏の教えを聞くことによって、自分というのは人間なんだというけれども、どういうもの なのかということが生き様として分かったんです。そして自分がそうだということもあるし、今現に、そういう人達と朋なる者として見出されてくる。親鸞の言 葉で言えば、「いし・瓦・つぶての如くなるわれら」こういう言葉がありますけれど。それは、いし・瓦・つぶての様な、要するにつまらないものと見られてい たその人達、それこそわれらだと。そういうふうに親鸞聖人は、自分を見られたわけです。

それこそが、つまり「如来の本誓機に応ずることを明かす」といいますけど、実は如来の本誓、要 するに如来の本願、南無阿弥陀仏は誰を救うのかということを具体的に明らかにされたのです。中身の無い人間を救うんじゃなくて、こういう有無の見に振り回 され、群れてですね、自分は自分として自立できないそういう者を救う。煩悩に振り回される。善に立てば人を悪くいい、悪に立てば卑屈になる。どうあがいた ところで一生悪を作るもの。そういうわれらを救う、それが南無阿弥陀仏なんだということを、この七人の方々が明らかにしてくださった。こういうことが『正 信偈』に言い表されている。

七高僧の名を呼ぶ

そこまではだいたい分かっていたというか、私がその、時間も終わりに近くなってきて最後の最後に言うのもなんですが、何を思ったかというと、実は今お話 ししたような言い方はこれまで言われていることですけども。私は、あまり人が言ったことが無いこと、聞いたことが無いことをある時思った。それはどういう ことかというと、「龍樹という人はこういうことを明らかにした方なんですよ」という説明じゃないんだと思ったんです。 それはどういうことかというと、例えば分かり易く言うと、何処でもそうなんですが善導大師のと ころで言えば、「善導独明仏正意」(57ページ)。「善導は独り仏の正意を明かせり」ですね。それはそれで間違いないんですけども。私が思ったのは、実は これ、親鸞が善導の名前を呼んでいるんだというふうに思ったんです。龍樹や天親も曇鸞も道綽も善導も源信も源空も名前を紹介しているのではなくて、親鸞が この『正信偈』において名を呼んでいるんだ、というふうに去年の10月頃にそういうことをふっと思ったんです。

そういうふうに即して読むとどうなるかというと、「善導は独り仏の正意を明かせり」ではなく て、「善導よ、あなたは・・」、「源空よ」と、名前を読んでいる。そうするとどこが違うかというと、南無阿弥陀仏を説明しているのではないということなん です。親鸞というのはどういう人なのかというと、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の名前を呼ぶ人が親鸞ということです。私の言っている意味がわ かってもらえるでしょうか?

『正信偈』が親鸞なんだという意味は、その親鸞はどんな人なのかというと、親鸞という人がある というよりも名前を呼ぶ人としてある。一番分かりやすく言うと。一番分かりやすいのは、やっぱりお母さんなんですけど。お母さんと呼んでみてください。 (笑い) 生きている人も、すでに亡くされた人も。亡くなっている人の方が尚更分かると思うんです。皆さんだいたい私より年上ですからお母さんを亡くされ ている方が多いかもしれませんけど。もう人によっては、お母さんと呼ばれたり、おじいちゃんと呼ばれたり、おばあちゃんと呼ばれたりしているんですね。だ けど自分がお母さんと呼ぶ時にはどうなるかというと、子供になる。自分がお母さんと言ったときには、自分は何になるかというと、子供になるんです。

だから、名前を呼んでいるという意味はそういう意味です。名前を呼んだときに、親鸞は親鸞とい う名前を書いているけれども。つまりお母さんと呼ぶということはどういうことかというと、その人は子供だということなんですよ。親鸞がこの名前を呼ぶとい うことはどういうことかというと、これは(群生(ぐんじょう)・惑染の凡夫・一生造悪・定散と逆悪・極重悪人・善悪凡夫人)になるということですね。

呼びかけられたものになる

この七人の方々が、人間というものはこうだというふうに呼びかけている。呼びかけた名前を呼ぶということは、親鸞がその呼びかけられたものに成るという ことですね。だからそれを一つ一つあげているんですが、最終的には無辺の極濁悪、道俗時衆というですね、こういう言い方で言われてますが、それはこれを ひっくるめたものですね、そういうものとして自分がある。つまり如来の本願にたすけられる者になったと。 元に戻すと、無量寿仏の名を呼べとか、無量寿仏の名を持(たも)てということはどういうことか というと、この龍樹という人は龍樹一人ではない。龍樹と共にこの「有無の見」の人々がいるわけですね。親鸞でいうと、「いし・瓦・つぶての如くなる」人々 とともにあるわけです。それぞれに自分一人のことを言っているんじゃなくて、例えば曇鸞なら曇鸞が「われら」としてきた人々が、惑染の凡夫です。つまり阿 弥陀の本願に救われていった人として、具体的には曇鸞という一人ですけど、実際には惑染の凡夫というたくさんの人がいらっしゃる。名前は七人を挙げている けれども、実際にはそこにたくさんの人がいるわけですね。それが無量ということを言っているんだと。

南無阿弥陀仏を信じる

御正忌の御文にもありますように「くちにただ念仏ばかりをとなえたらば極楽に往生すべきようにおもえり それはおおきにおぼつかなき次第なり」というこ とがあります。つまり念仏申せといわれて、はいわかりました、じゃあ念仏称えりゃいいんですね、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言ったって、それはおお きにおぼつかないもの。何故かというと、南無阿弥陀仏が何か分かっていないからです。南無阿弥陀仏とは、南無阿弥陀仏申 しなさいという言葉で言われていることは、南無阿弥陀仏を言えば良いということじゃない。それが今回言いたい事なんですけど、南無阿弥陀仏申しなさいとい われたら、何を求めているのかというと、南無阿弥陀仏を信じなさいということが求められているんですね。つまり口にただ南無阿弥陀仏と言うということを求 めているんではなくて、南無阿弥陀仏を信ずるということを先ず求められている。では南無阿弥陀仏を信ずるということはどういうことかというと、無量寿仏の 名を持(たも)てということである。

つまりこれでいくと、親鸞がこういうかたちで表した、それを信じるということはどういうことかと いうと、本当か嘘かを信じるんじゃないんですよ。この私が惑染の凡夫であるということを自覚するということが、信じるということです。この私が一生造悪で あるということを自覚するということが、信じるということです。つまり南無阿弥陀仏によって明らかになった我が身に目覚めることが、南無阿弥陀仏を信じる ということです。

だから念仏を信じる、念仏申せということは、南無阿弥陀仏と言うことじゃなくて、そこに南無阿弥 陀仏に救われる者としての自己を表現するということなんです。それが南無阿弥陀仏。だから親鸞という名前で表されているのは、七人の方々が言い表わしてく ださった、本願に救われるものになったという名前です。

ちょっとまだはっきりしないところもあるのですが、言わせていただくと、綽空という名前は、道綽 の綽と源空の空なんですね。善信という名前は、善導の善と源信の信。親鸞という名前は、天親の親と曇鸞の鸞。これはみんな言っている事ですから。ただね、 誰でも言っているんですけど、まあいろいろ難しい事はあるんですけれども、私は親鸞と名告ったのはですね、親鸞という名告りのもとにあるのは、この七高僧 の名、全てではないかと思うんです。龍樹が無いじゃないかというかも知れませんが、龍樹が曇鸞に入っていく、それに含まれていると考えたほうがいいと思い ます。親鸞という名前は、ただ単に天親の親と曇鸞の鸞を取った名前というよりも、七高僧の全ての名を呼ぶ者の名前が親鸞であると言ったほうが良いんではな いかと思います。

とにかく、念仏申せということですね。信じる持(たも)つということはどういうことかというと、名を呼ぶ者となる。名を呼ぶとはどういうことかというと、私を明らかにしてくださった人の名を呼ぶ。だからそれ無くして念仏申すことはないと言いたいわけです。

僧伽の歴史

南無阿弥陀仏とは何だといいますけれど、南無阿弥陀仏には無量の名前が入っている。南無阿弥陀仏には念仏申してきた人々の歴史が入っている。つまり、念 仏すればそこに僧伽の歴史が現前してくるのです。親鸞においてはそれが七高僧に代表される人々です。 私たちは、誰にも教えられずに南無阿弥陀仏申すことはできない。また、テレビで見たり、本で読 んだからといって念仏することもないでしょう。私たちが念仏しているとしたら、それは必ず誰かに念仏を勧められたからでしょう。信頼できる身近な方が念仏 申す声を聞き、その姿を見てきたからでしょう。その方をよき人と言います。

私たちにとってよき人というのは、それぞれあるはずなんですね。別に七高僧でなければならんと いうことでなくて、もっとたくさんいてもいいし、違う人でも良いんです。別に有名な先生じゃなくても良いんです。どんな人でもいいから、私はどういう生き 方をするどういう者であるかということを明らかにして、しかもその私というものは阿弥陀の本願に救われるものとしてある。つまり、阿弥陀の本願に念じられ ているものとしてあるということを教えてくださる方の名前を挙げるということが、名を呼ぶということが、念仏を信じるということであるし、南無阿弥陀仏申 すということであると。だから、南無阿弥陀仏を称えるということは、そこに具体的なよき人の名前がなければならないということなんです。一人のよき人との 出遇いが、無量の仏との関係を開いていくのです。

まあそういうことを申し上げたかったわけです。今日は、これで終わります。

[ 文責 浄願寺 ]

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