ちょっと気になる

ずっと前から気になって、事ある毎にお話しているんですが、法事の時に皆さん黒の礼服を着てこられるのですが、何故なんでしょうか。
どこかの作法書に書いてあるんでしょうね。仏事の時は黒の装いをすることと。
でもその謂れは仏法の事ではなく、昔からある民俗信仰のようなハレとケガレという考えから来ているものと思います。慶びとか政はハレで、亡くなる事はケガレという考えから。
死というのは慶びではなく、自分から遠ざけたい事として嫌う事として考えていますから、黒という色で表したのだろうと思います。
ですが、死という事実は嫌ったら遠ざかることでしょうか?遠ざけたと自分で思っていても、事実は消えないのです。
私共の教団の明治の頃の先師の清澤満之師が、「生も我なり、死もまた我なり。我らは生死を並存するものなり」といわれました。この身の事実として、死は外から来ることではなく、この私が生きている身の中に現れる事実だと。問題はその事実をしっかりと受け止めないことなのだと教えてくださいました。
宗教は救われることですが、自分の都合の良いようになることが救われることではないのです。
都合の良い様になったというなら、助かったという言い方のが合ってるのかもしれません。
仏教は救ってくださることなのです。救うとは丸ごとということです。この部分を変えるということではないのです。
そこから分かっていただけると思うのですが、仏教では死をケガレとして嫌うこととは申しません。ですから、仏事の時黒の礼服を切る必要はないのです。
もう一度考え直してみませんか。ものの見方を。

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